観体論における論理観体(IRD)

観体は論理世界の中のパターンの一つである。外部の変化を認識して内部の状態を変え、またそれを受けて外部に影響を与える。例えば我々人間を初めとする生物も観体の一つである。またロボットや電子計算機も観体の類と言えよう。

世界観の中であえて観体を最初に述べるのは、この世界観自体、観体に認識されることを目的とした情報であるからである。曖昧な文章で記すこともできるが、読む人毎に違う解釈が発生するのは目的にそぐわない。曖昧さのない厳格で、かつシンプルな記法が必要になってくる。

IRD(Idea Relational Diagram/概念関係図)は情報を表現する記法である。IRDには二つの目的がある。一つは言葉による曖昧さを無くす事である。もう一つはそれ自体、観体の仕組みを表す事である。観体のモデルとも言える。

最初に基礎的な用語を定義する。基礎的な用語を定義するにはさらに基礎的な用語が必要であり、その用語を定義するにはさらに基礎的な用語が必要であり、それは無限に続いてしまう。そこでここでは相互規定という方法をとる。相互規定というのは例えば「右」を「左の反対」と定義し、「左」を「右の反対」と定義することである。結局「右」とはなんなのかは定義されていない。言葉(シニフィアン)は結局、受け取り側の認識(シニフィエ)に依存してしまう。

定義

予約語

「外側」「内側」「有る」「ある」「無い」「ない」「原因」「結果」「状態」「事象」「非」「成る」「間」「左方」「右方」「呼ぶ」「持つ」

予約語については後の項にて定義する。特に「有る」「ある」、「無い」「ない」を厳格に区別すること。

基礎的な用語

ヒトで例えると身体の外側は「外界」である。加えて身体の内側も「外界」である。内側も外界であるという事に違和感があるかもしれない。例えば腹痛という「刺激」は身体の内側の事象ではあるが観体にとっては外側の事象である。

IRDの基礎的要素

概念と観念と行念

IRDでは「概念」を単語または白丸で表現する。「概念」には「反応」と「非反応」の状態が有る。

「観念」は「概念」の一種である。観念は刺激に対するパターンである。例えば「キリン」という観念はキリンに反応する。それは生きたキリンでなくても構わない。絵に描いたキリンでも、テレビ画面の発光素子が作り出した形でも、たとえ壁の染みがたまたまキリンの形に似ていたとしても「観念のキリン」は反応する。

「観念」でない「概念」もある。例えば「権利」や「幸福」は外界からの刺激パターンではない。「非観念」である「概念」である。ゆえに人は「幸福」を直接認識する事は出来ない。

概念は単語と関連づけられていなくても構わない。今見上げた空に浮かぶ雲が作りだす形に名前はあるだろうか。名前はないが、確かにその形はパターンとしてまた再び同じ形の雲を見た時に反応しうるであろう。IRDでは「無名の概念」として白丸を使用する。

観念は「観体の外部」の刺激パターンだけとは限らない。「観体の内部」のパターンでもありうる。大切な物を失ったときに身体の中に感じる悲壮感も観念であるし、特定の異性をみて感じる動悸感もまた観念の一つである。

特殊な「概念」として「行念」が有る。行念は身体の動きである。「人差し指を曲げて見よ」と言われた時に反応した部分、それが「行念」である。

「概念」が反応した状態を「反応」と呼ぶ。特に「観念」が外界からの刺激に反応した状態を「認識」と呼ぶ。「観念」の刺激パターンがマッチした状態である。夜、暗い道で人の形を見て「幽霊」観念というパターンがマッチしたのであれば、その人にとっては「幽霊」が「認識」されたというのは間違いない。仮にそれが単なる柳の枝であったとしてもである。

「観念」は独立して反応するが、「非観念」である「概念」や「行念」の反応は「関係」によってもたらされる。

関係

概念同士は「関係」で結ばれる。IRDでは概念間を結ぶ線で表す。「認識」「反応」は「関係」を通じて伝播する。外を歩いていて皮膚に水があたり「水」と「外」という観念が「認識」されそれらに繋がった「雨」という概念に「関係」を通じて伝わり「雨」が「反応」する。例えそれが、たまたま上階の人がこぼしたコップの水滴だったとしてもだ。

概念と関係の相互作用

「認識」された「観念」は「関係」を通じて「行念」を「反応」させる。うっかり熱い物を触って身を引いた経験は誰にでもあるだろう。「熱さ」という観念の認識が関係を伝わって「身を引く」という行念を反応させる。概念間の距離が遠いと行念の反応はそれだけ遅れる。そして外界に与えた結果はフィードバックとして再度「認識」され「関係」が形成・修正される。

仏教には「色受想行識」の五蘊の考えがある。「色」は刺激、「受」は観念の認識、「想」は概念間の関係による反応の伝播、「行」は行念の反応と行動、「識」はフィードバックによる関係形成が対応する。

なんでもない時でもわざと仁王立ちして笑ってみると気分がよくなったり、反対に体を小さくして萎縮するとなんだか気分が落ち込む。筆をとればなにか絵を描きたい気分になり楽器を持てば音を奏でたい気分になる。モーターが電気を与えれば動くし動かせば電気を流す様に、行念を故意に反応させることでフィードバック認識を錯覚させる。

冠表現と束縛

日本語には冠詞がない。「ネコ」は猫一般を差すのか、今そこにいる猫を差すのかが曖昧である。IRDでは単語を丸で囲む事によってその丸を具体的な概念として表す。テキスト形式では[ネコ]として表記し、これは「あるネコ」を表す。複数の具体的な概念を区別することもできる。IRDでは丸の中に識別子を併記する。テキスト形式では[ネコA]、[ネコB]と表記する。集まりを表すにはその識別子を「」とする。[ネコ]は「あるネコの集まり」を表す。

束縛は概念を限定する表現である。IRDでは片矢印で表す。例えば「アメリカ」の「元首」は「アメリカ」L「元首」とする。テキスト形式においては丸括弧を使い「元首(アメリカ)」と表す。

さまざまな関係(高階関係)

関係は複数の無名概念と組合わさり、さらに高階な関係を作る。大量の概念と関係を保有する観体である霊長類や人間がそれらを使いこなす。

類種関係と性質

類種関係はI矢印で表す。矢印の差す先を「類」差す元を「種」と呼ぶ。「種」は「類」の「類種関係」をそのまま受け継ぐ。例えば「卵を生む」←「鳥類」←「ハト」は「ハト」が「鳥類」の「卵を生む」という関係を引き継ぎ「卵を産む」←「ハト」、つまり「鳥類は卵を生む、ハトは鳥類である、ゆえにハトは卵を産む」という三段論法を表す。

また「種」の「反応」は「類」には伝わるが、「類」の「反応」は「種」には伝わらない。電子回路のダイオードと似ている。例えば「ハト」が認識されれば「鳥類」も認識されるが、「鳥類」が認識されたからといって「ハト」が認識されるとは限らない。

ある「概念」の「類」の集まりを、その概念の「性質」と呼ぶ。

否定関係

「否定関係」は関係の一種である。IRDでは関係に横棒を引いて表す。それぞれの「概念」に共通する「類」から受けついだ性質「以外の」性質を受け継がない。例えば「ヒト」←「男」+「女」→「ヒト」は「男も女もヒトではあるが、男は女ではなく、女は男ではない」と読む事ができる。女は男の「精子を生成する」という性質を受け継がず、男は女の「卵子を生成する」という性質を受け継がない。この様に否定関係の両端がそれぞれもつ独自の性質を「特性」と呼ぶ。「特性」は「類」と「否定関係」の概念に依存する。「卵子を生成することはヒトの下での男に対する女の特性」であるという事である。類や否定関係の概念が無い場合は単なる性質の一つでしかない。

仮に否定関係の両端に共通する性質があるとすれば、それは両端の性質ではなく、類の性質であるということである。例えば「二足歩行する」←「男」、「二足歩行する」←「女」であるとすると、「二足歩行する」は男だけの性質でも女だけの性質でも無く、「ヒト」またはそれの類の性質であるという事である。つまり「二足歩行する」←「ヒト」と記すべきである。

観体は適切なタイミングでこれらの最適化を行う。動物の睡眠中がそのタイミングの一つである。最適化中の反応が夢となって後から認識される。

同関係

全く同じであることをIRDでは=で表す。

部体関係

「部体関係」は類種関係の一種である。IRDでは関係にコの字を書いて表す。コの字の開いた方の概念を「部」と呼び、を閉じた方の概念を「体」と呼ぶ。「体」は「部」を含む。例えば、「タイヤ」コー「自動車」は「自動車はタイヤを含む」と読む事ができる。自動車はタイヤでは無いし、タイヤは自動車では無い。しかし自動車はタイヤを含まないと自動車では無い。

「部」の「部体関係」は「体」に受け継ぐ。例えば「東京」コー「日本」コー「アジア」であれば、「日本は東京を含み、アジアは日本を含む、ゆえにアジアは東京を含む」と読み替えられる。

項の最初に書いた様に「部体関係」←「類種関係」であり、一種の短縮型である。「東京」コー「日本」は「東京を含む」←「日本を含む」と表現できる。

事象

「事象」は「概念」の「性質」の変化である。概念が概念であり続けながらその性質が変わることである。例えば「木にぶら下がっている」←「リンゴ」が「地面に転がった」←「リンゴ」に成ることである。IRDでは(「木にぶら下がる」-S-「地面に転がる」)←「リンゴ」と表す。このSが「概念」であり「事象」である。ここでは無名概念だが、名前を付けて「-落ちるS-」としてもいい。

「事象」の左方の関係を「元関係」と呼ぶ。「事象」の右方の関係を「先関係」と呼ぶ。

「事象」の「元関係」と「先関係」の「概念」の「性質」を「状態」と呼ぶ。

「事象」には修飾的に「現在」「過去」「未来」「他動」「自動」「完了」「目的」などの性質を加えてもよい。動詞の活用形が参考になるだろう。

因果関係

「因果関係」は「関係」の一種であり、「事象」同士を結ぶ。IRDではー>ーを使う。開いた方の「事象」を「因」、閉じた方の「事象」を「果」と呼ぶ。「因」の反応が「果」の反応に伝播する。例えば「落ちるS」ー>ー「割れるS」は「落ちると割れる」と読む事ができる。

類種関係と同じく、反応は一方向、つまり「因」から「果」にしか伝わらない。例えば上の例では「落ちる」と「割れる」が「割れた」からといって「落ちた」とは限らない。

非対称関係と対称関係

類種・部体・因果関係は非対称関係である。非対称関係は反応が一方向にしか伝わらない。対して同関係は対称関係である。また否定関係も対称関係である。対称関係は、非対称関係を組み合わせて表現ができる。対称関係は非対称関係の短縮形であると言える。

関係はここに述べた基礎的な関係以外にもあり得る。例えば「夫婦関係」や「友達関係」は対称関係と言えるし、「上下関係」などは非対称関係と言える。

IRDでは非対称関係を▷で、対称関係を△で表す。名前をつけてもよい。例えば大小関係は「ー大▷小ー」と表す。よく使う関係は=を使い、エイリアス(別名)を作ってもよい。

相互規定する対称関係もある。これを「相互規定対象関係」と呼ぶ。例えば左右関係は「ー左△右ー」と表す。左でない方が右であり、右でない方が左である。

量と比較可能性

*「量」→「性質」

「量」は「性質」の一種である。同一の類を持つ複数の概念の特性が「大」「小」の非対称関係を持つ時、その特性を「量」と呼ぶ。

例えば下記では大きさが量であり性質でもある。

量が量である為には比較できる可能性が必要である。「猫→小さい」の様に形容詞を絶対的に扱うのは誤謬でしかない。

比率

比率は同性質の量の関係の一種である。下記の例のまさに「小◁大」そのものが比率としても扱える。IRDでは非対称関係の左右に数値を書いて比率を表す。1は省略可能である.

数量

数量は量の一種である。直接ではなく、間接的に、共通の「単位」との比率で表された量である。これにより直接比較しなくても量の比較が可能となる。標準器は単位を性質量として持つ。例えば地球であったり電子の回転周期であったり、権力者の腕の長さであったりする。

汎用的な単位として「個」がある。一つの類種関係を個と呼ぶ。類がなければ個はない。種々に類があってはじめて個として数える事が可能になる。

単位から性質は推測もできるが、明確に区別する必要がある時もある。例えばmは明らかに長さであるが、縦の長さと横の長さは違う性質である。

等比数量

等比数量は数量の一種である。IRDでは数量の数値に^を付加する。下記の例では-10▷1-を4つ接続された関係、すなわち-10▷1-10▷1-10▷1-10▷1-と同義である。また^-は逆方向接続を表す。

複合単位

単位同士の比率が「比率単位」である。IRDでは非対称関係で記す。比較可能性がない単位同士の比率単位もありえる。例えば秒とメートルの比率である速度がある。秒の先に具体的な秒数を接続することでメートル単位の距離が得られる。

単位同士の合成が「合成単位」である。関係双方の量を同じとみなす。IRDでは対称関係で記す。比較可能単位同士の合成単位の例としては平方メートルがある。つまり、縦と横という異なる性質を同じであるとみなす。比較不可能単位同士の合成単位もありえる。

モデルとしてのIRD

IRDは記法であると共に観体のモデルでもある。世界観はIRDを併用して表現していく。どこまででも行けるロケットとどこまでも拡大出来る顕微鏡の準備はできた。さあ、世界の果てまで案内しよう。

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