観体論における物理世界観

履歴

「観体論における論理世界観」では抽象された世界観を述べた。この章ではその具体の一つである、「この世界」について述べる。

この世界の命名

今生きている「この世界」は「論理世界」の一種である。論理世界の性質を継承しつつ、特性も備えている。「この世界」では煩わしく相対的な表現であるので名前を付ける。ギリシャ語の1をとって「モノ」とする。

自然

素粒子と宇宙

「モノ」の部体関係の終端を「モノ部品」と「モノ全体」と定める。あくまでこれらは「概念」でしかない。いまのところ「観念」でそれを認識することはできないからである。

現代科学におけるミクロとマクロの終端は素粒子と宇宙である。それぞれ素粒子物理学・天文物理学の分野で盛んに研究が行われている。

それでは素粒子は何で出来ているのか。宇宙の外にはなにがあるか。は誰でも持つ疑問である。それらは人類に観測できるかどうかすら不明である。観測は媒体に依存する。現在、直接観測できるのはミクロでは原子まで、マクロでは465億光年先までである。それを超えるのは推論でしかない。

推論とは一種の関数である。y=F(x)のyが結果事象、xが仮定事象、Fが推論である。実験や体験により得られた複数のxの値とyの値のペアから科学者達が推論Fを想像する。

xが0のときyが1、xが1の時yが2であったとすると、誰もが「y=x+1」であるというFを思い浮かべる。それではxが2の時はyは3であろうと。実験してみると実際にyが3であった。やはりFはy=x+1であったと誰もが確信する。

ところがある時、xに3を入れてみたらyは5であった。科学者達は慌ててFの修正を図る。ある者はy=if x<3 then x+1 else x+2などというアドホックなFを作り出し、「どうだ完璧だろう」と主張し、人々もそれで納得する。

そしてしばらくしてxに4を入れた時にyが6ではなく8になりまた慌てる事になる。そもそも最初から推論は違っておりFはx+1添字のフィボナッチ数列である。

科学の営みもこれと似ている。

古代ローマの科学者は回転する空を見て天動説を作り出し、星々の動きを推測した。多くはそれで正確に推測出来たが、火星の逆行の動きについては「if !火星 else」つまり「例外」としか説明できなかった。Fは中世までの間様々な矛盾をアドホックされキメラの様になりながらも、それでも人々からは信じられていた。

16世紀になりそもそも推論が根本的に違うという事に気づき地動説が認められる。しかしこの推論Fでも観測技術の発達によってわかった惑星の動きの揺らぎは例外や誤差でしか説明できなかった。

ニュートン物理学がこれを解決する。が、電磁気技術の発達による新たな観測結果は説明できなかった。光速度がどの慣性系からも一定であったり、電子が2つのスリットを通るとき縞模様を描いたり、光を物質にあてた時の電子放出量が周波数に依存したり。

それらの矛盾を補ったFが今日の相対論であり量子力学である。もはやそこから推測されるyの値はもはや現実とはかけ離れたものになっており、シュレディンガーの猫や双子のパラドックスなど、思考実験的な指摘批判はされている。が、実際に今のところxとyの値を一番正確に結びつけている推論Fであるのも確かである。

遠方の銀河からの光が赤方偏移しているという観測結果からはビッグバン宇宙論が推測されている。これはわずか数十個の近傍の銀河の変光星の周期から計算された光の量からの減衰による距離をもとにした結果で、距離測定すら不能な超遠方の銀河についてはその延長的な想像で考えられているにすぎない。つまり先に書いた観測可能な465億光年という値すらこのビッグバン宇宙論に依存した数値で、実際はもっともっと観測可能範囲は少ない。

紀元前6世紀にタレスは「万物の根源は水である」と述べ、紀元前4世紀にエウドクソスは宇宙の恒星群を地球の同心円上の一枚上にあると述べた。古来よりミクロとマクロ終端は人類の興味対象であり想像による推論と観測技術の発達によって幾度も修正されてきた。

現在科学の常識もいずれは非常識となるのかもしれない。

リビングに置かれた水槽に住む金魚達がガラスのむこうの光景を眺めながら家の外はどうなっているのだろうとあれこれ考えている。我々が宇宙の事を推測するというのはつまりそういうことである。

時間と空間

あなたは密室に閉じ込められてる。手元には時計と定規がある。部屋には殺傷力のあるレーザーが1本照射されており、それは周期的に部屋の床を往復している。

時計と定規を使い、そのレーザーが毎時30センチメートル動いている事を計った。部屋の壁の間は3メートル。つまりレーザーが端に辿り着いてから反対側の端の60センチの隙間で寝れば8時間は睡眠出来る計算になる。寝過ごしたらアウトだ。

この方法はうまく行ってあなたは数日を生き延びる事が出来た。さあ、今日も8時間で起きればレーザーは60センチ先までしか来ていないだろう。あなたは眠りについた。

目覚めは灼熱の感覚。気がつくとレーザーはあなたの身体の半分まで焼き切っていた。おかしい?まだ8時間しか経っていないはずなのに? 確認した手元の時計は確かに8時間。ふと時計の秒針がいつもよりゆっくり動いた気がした。壊れてる?定規を確認すしようと手を伸ばす。引っかかった定規はまるで粘土の様に伸びる。

あなたは遠のく意識の中で壊れた時計と粘土の定規を信用してしまった自分を呪った。

「時間」と「空間」は「事象」である。「渦体」ではない。つまり観体による直接認識可能性がない。つまり「存在しない」。

時空間が存在しないという事に違和感があるだろうか。例えば今木から落ちた「リンゴ」という「渦体」は存在するが、木から「落ちた」という「事象」は存在しない。それと同じ事である。

定規や巻き尺を指し示し「空間」は「在る」ではないかと思うかもしれない。それは「定規」や「巻き尺」という「渦体」が「在る」だけで、「空間」そのものが「在る」という事にはならない。そしてそれらはミクロのレベルでは先ほどの粘土の定規の様にぐにゃぐにゃ動いている。

「時間」は「空間」でしか表す事が出来ない。

「空間」は「時間」でしか表す事が出来ない。

つまり「相互規定対象関係」であるということである。右と左の関係と同じ。「世界運動」を「時間」積分し「空間」が、「世界運動」を「空間」積分することで「時間」が定義される。

原始的な時計は天体の運動である。古来、人々は星の運動を空間的に積み重ね「時間」を感じてきた。

水の重力による落下運動を空間的に積み重ね「時間」を感じる事もあったし、水晶振動子による電気的な振動運動を空間的に積み重ね「時間」を感じることもあった。

さらには原子の内部運動の結果、放出された電磁波を捉えて「時間」を感じる技術まで出来た。

しかし、これらの「周期的運動」は一定しておらず、環境によって変わりうる。天体の動きは年々変化しており、水の落下加速度も高度や緯度により異なる。水晶振動子は完璧に同じものなど存在せず個体により異なる。原子の運動すら重力や相対速度により変化する。

これらの運動から得られた「時間」や「空間」はつまり、先ほどの話の壊れた時計や粘土の定規の様にぐにゃぐにゃしたものなのである。しかも時計や定規ごと歪んでいるのだから我々にそれを感じる手だてはない。

今のところ一番安定している運動は「光」の伝達速度である。この時間と空間の比率だけは真空であればどんな環境でもどんな観測者にとっても一定らしい。さっきの一見壊れた時計と粘土の定規は、ある規則性で結ばれているということになる。

「どんな観測者にとっても」と書いた。天体が自分を中心に回っていた時代を思い出す。どうしてそうなのかを探求する科学者は少なく、ただその事実のみを元にした推論が積み重ねられ現代物理学が構成されている。

生物

地球上の生物は論理的世界観の生体である。

動物は生物の一種であると共に、観体の種でもある。渦体により観念を反応させ、行念により自身を変化させ行動する。行動はさらに外部を通じて観念にフィードバックし、観体内の関係を構成する。これを「学習」と呼ぶ。受想行識のサイクルである。

感覚と感情は本質的には同じである。どちらも生物内で発生する渦体であり、観念を反応させる。外部の渦体の変化が媒体を通じて感覚の変化となる。概念の反応連鎖によって観体内に発生する変化は血液媒体により、感情の変化となり観念を反応させる。

感情の発生法則は先天的な生存保存プログラムと言える。それは意思によるものではなく、多様化と淘汰による生存競争の結果でしかない。

「想起」は観体内の概念の反応連鎖による観念の緩やかな反応である。これは外部の渦体によらない反応である。今、目の前にいない人を想像してみることが出来る。耳から聞こえない波の音、触っていない薔薇のトゲの感触を想像することができる。これはその人や波の音やトゲの「観念」の緩やかな反応である。その緩やかな反応から「感情」が変化することもある。反応連鎖は時に人を自殺にも追い込む。

人文

経済体系

経済体系は循環体である。現代の経済は複雑化しておりコンピューターシステムによる投機行為までもが行われている。 この項では単純な原始的経済系体から始め、銀行や投資や株式など基礎的な循環体部を加えていく。

原始的経済体系

経済体系の原始的な循環媒体は労働力と商品である。そして商品を動かすのに少なくとも必要なのは生産消費者である。ここでの生産消費者は世帯である。仮に扶養されている消費者がいたとしても、それは何らかの生産者に扶養されているはずである。それらのまとまりを生産消費者と呼ぶ。

古来、人類は狩猟や採取により食料を得ていた。そして自分が食べない食料を交換の為に採取する時に経済体系は発生する。

生産消費者により狩猟採取された商品は別の商品と交換され他の生産消費者に移動する。生産消費者は商品を食べてそのエネルギーを労働力に変え、生産者として狩猟採取を行う。

商品は労働力と交互に変化しながら生産消費者により原始的経済体系を循環する。

なお、交換される商品の交換量比率は一定しない。需要量と供給量によって交換比率は刻々と変化する。また一般的に必要労働力が大きい商品は供給量が少ないので、対する交換量は多くなる。

交換比率は単位となる商品によって相対的に表すことができる。その相対的交換比率を「交換価値」と呼ぶ。直接交換ではなく間接交換の場合はこの交換価値を指標とする必要がある。

しかしながら、単位商品は必要とする者もいれば必要としない者もいる。者によって交換価値の分母が変化するのでは間接交換には不便である。また生産物には長期貯蔵や運搬をするのには不適な物もある。

そこで普遍的な価値があり、貯蔵運搬が容易な単位商品である「貨幣」が登場する。

通貨経済体系

通貨は単位商品であると共に労働力と交換比率が一定であるべき商品である。特性として簡単に生産出来ない事、経年により劣化しない事が必要になる。それ故に、それ自体は交換以外には使用されない事が多い。せいぜい、電池のフタを空ける位である。交換を受けた者が直接的に使用する場合の交換価値を特に「使用価値」と呼ぶ。一般に通貨の使用価値は少ない。

通貨経済体系においては通貨が主な循環媒体になる。商品には通貨に対する交換価値が提示され、通貨と交換する。時には通貨同士を交換することもある。

例えば、夏の間だけ生産できる、すぐに腐ってしまう商品でも、一旦通貨と交換しておいて、冬の間はその通貨と必要な商品を交換するといった事が出来る。また部品を作るだけの専業的な生産や他の生産者から商品を仕入れ、消費者を探すだけの商社的な生産も有効となる。

通貨には貝や石や貴金属などの自然通貨と人が鋳造したり署名印刷して発行する人工通貨がある。人工通貨の価値は発行者に依存する。

古来、人工通貨は商人、つまり生産者の一部が発行していた。今日においては通貨発行権者、例えば中央銀行がその役割を担っている。価値の安定の為、政体とは分離されることが多い。政体は公共安全福祉を商品とする生産者の一種である。その社会福祉の対象である弱者すら、自身の社会に対する安全性を商品とした生産者ともとらえられる。

通貨によって経済体系の範囲は格段に広がり複雑化し、幾重にも分流した川の様になる。

通貨の川の流れは気候変動などの要因により短期的に欠乏することがある。また、反対に洪水を起こす事もある。川の流れを安定させるにはダムが必要である。

金融経済体系

金融は経済体系においてのバッファである。余剰な商品(多くは通貨)を蓄積し、欠乏している経済体部に融通する。そのサービスが金融者の商品であり、その対価が金利である。銀行が代表的な例である。専業の他にも経済体部それぞれ、金融者的な側面を持つ事もある。

例えばある年は天候が悪く、不作であるが、その次の年は倍の収穫を見込める場合、最初の年の欠乏によりその生産者が無くなるのは全体の益にならない。銀行に一時的に維持費を借りる事により通年では安定が得られる。

金利は資本主義の支配構造の根底原理である。これにより持つ者が持たざる者から搾取する事が可能となる。例えば、資本家による設備・統率・資本の労働者に対しての提供も貸借の一種であり、それに対する売上と労働者報酬との差額は金利としてとらえられる。その利益すら政体に税として徴収される。税もまた資本主義下においては政体による絶対的な安全組織の貸し出しに対しての金利であると言える。

従業員を雇用する企業がある。会計上では現れないが従業員は資産である。従業員の生涯コスト(契約期間コスト)がその資産評価額であり、報酬が毎年減価償却される。自営業者や労働従事する資本家の労働資産に対しての貸借は資本となり、それ以外の場合は負債となる。派遣労働者を始めとする短期雇用者や定年退職間際の労働者の資産評価額は少なく、若者の正規雇用者の資産評価額は高い。得られる利益が同じだとすると若者の正規雇用者のROAは比較的低くなり、これが雇用問題の原因となる。ROAの低い若者の正規雇用者を雇い入れる動機はその蓄積性にある。それは技術であり営業的なつながりの蓄積性である。

物理組織体

企業組織

1人で出来る事には限りがある。協力しあう事で生産できる商品も多様となる。企業組織の組織体部は企業構成員でなる。企業組織は間接組織体である為、権責関係のツリー構造をなす。権側の末端は出資者が担う。株式会社であれば株主である。企業構成員が自社の株主となることで民主組織体にもなりえる。

企業構成員同士の権責関係は人事考課権によって成り立つ。人事考課権による人事考課によって報酬が増減したり企業構成員の立場が変化する。人事考課権以外にも優秀な権側企業構成員は名誉や愛を巧みに使い、責側企業構成員を操作する。

企業組織は結合生体であり、構成員の採用と退職により新陳代謝し自己保存する。また他の企業組織とのの合併や子会社により結合変異し、生存競争においての生き残り確率を上げる。

企業組織は業体である。営業部門は営業部体として社会組織体としての権責関係を構成しようとし、提供部門は提供部体として責を担う。管理部門は管理部体として企業組織を構成管理する。

派閥組織

派閥組織は生体であり組織体である。派閥組織は組織内に重なって発生する。権責関係は自発的に構成され、未組織体であることもあるし、直接・間接組織体でもありえる。また結合生体でもありえる。派閥組織の権責関係は疎外権力性である。いわゆる仲間はずれの可能性である。

具体的な派閥組織の代表は政党である。民主組織においては多数決の挙手数が重要である。派閥組織は企業組織内にも発生しうる。単純接触の機会による無意識的な派閥組織もあれば、同学同郷同期同信条など同類認識による明確に構成員が所属を意識する派閥組織もある。企業組織内派閥組織は、時に人事構成権を持つ企業構成者と権責関係を持ちコントロールする。社会的な同信条派閥組織には宗教集団もある。子供の学校教室における友達関係も一種の派閥組織といえる。

血族

血族は一種の組織体であり、鳥類・ほ乳類において見られる。親は子と権責関係で繋がる。その関係は「子」ー権▷責ー「親」である。逆ではないことに注意してほしい。この権責関係は「愛権力性」をもつ。つまり子は愛で親をコントロールする。これが血族の根本である。血族を形成する生物には、この関係が先天的に備わる。裏を返せば先天的に備わっていない生物は生き残りにくいので観測もされにくい。

結合生体である特性的に子に対して親は2体ある。上記の幼児と親の権責関係は最終分裂側の親、つまり雌に該当する場合が多い。対して雄は血族に加わる場合もあれば加わらない場合もある。加わる場合は、多くは「雄」ー責◁権ー「雌」、「雄」ー責◁権ー「子」の「愛権力性権責関係」によって構成員と関係する。

ヒトにおいてはさらに特殊な性質が見受けられる。

子が成人するにしたがって権責関係は組み変わる場合もある。組織体としての種は血族によって様々である。家長が絶対的である直接組織体でもありえるし、多数決を重んじる民主組織体でもありえる。

構成員が老いてくると「親」ー権▷責ー「子」の権責関係が発生し、子は親を扶養する。この権責関係は上記の様な「愛権力性」なのかもしれないし、財産に依る「人事考課権力性」なのかもしれない。ある法律のもとによる「恐怖権力性」なのかもしれない。

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