観体論における論理世界観

履歴

IRDを利用して世界の定義を行う。

世界部品と世界全体

「世界部品」ーコー「世界全体」

まずは終端から定義する。宇宙を超えた世界の外には何があるのか、素粒子をさらに分解すると何で構成されているのか。その答えである。

世界は「世界全体」である。仮に「世界全体」の外側になにかがあるとしたら、それは「世界全体」では無い。マクロの終端、それを「世界全体」と定義する。

世界は「世界部品」で構成されている。仮に「世界部品」が何か別の部分で構成されるとしたら、それは「世界部品」ではない。ミクロの終端、それを「世界部品」と定義する。

世界因と世界摂理

「世界因S」ー>ー「世界摂理S」ー>ー「世界果S」←「世界全体」

次は因果関係の終端を定義する。なぜ宇宙を含む世界が動き出したのか、その結果、世界はどうなるのか。その答えである。

世界は「世界因」によって「世界節理」を始めた。仮に「世界因」を起こした「事象」があるとしたらそれは「世界因」ではない。原因の終端、それを「世界因」と定義する。

「世界摂理」の結果は「世界果」である。仮に「世界果」の結果起こる「事象」があるとしたらそれは「世界果」ではない。結果の終端、それを「世界果」と定義する。

渦体

「渦体」は世界部品の世界節理によって出来るパターンであり代謝であり秩序である。世界部品一つ一つは同じ性質であるが、その位置関係により共通で見られる「渦体」ができる。

「渦体」は集まってさらに「渦体」をつくり出す。そしてその「渦体」がさらに集まりまた「渦体」をつくりそれが階層的に重なっていく。

例えば流れる川にできる渦を想像するといい。川の水自体は渦の部分もそれ以外の部分同じだがその位置関係によって渦ができる。また渦を構成する水は次々に入れ替わるが、確かにそこに渦は認識される。細かい渦は集まって更に大きな渦を構成する。これが「渦体」である。また、ヒトの身体を構成する細胞も新陳代謝によって周期的に入れ替わっている。例えば一ヶ月前の皮膚と今の皮膚は物質的には別の物である。しかし個人は1ヶ月前も今も同じ観念として認識される。そこに共通するもの、それが「渦体」である。

「渦体」は「観体」の中の「観念」を「反応」させる。どの層のどの「渦体」が選ばれるかは「観体」次第である。

例えば老婆の淑女のだまし絵は誰もが見た事があるだろう。老婆も淑女もインクや絵の具の「世界部品」で構成された「渦体」であり「観念」でもある。そしてどちらが「反応」するかは見る人、つまり「観体」次第である。

在る/無しの概念がある。川の中に渦は本当に在るのであろうか。だまし絵の中に老婆や淑女は本当に在るのであろうか。そこにあるのは水でありインクでしかないのでないのだろうか。

在るとは「観念」による「渦体」の認識可能性である。無いとは「観念」の認識可能性がない事である。

仮に全ての人間が渦や老婆や淑女を知らなくなったら、そこに在るのは単なる水やインクでしかない。そして在るがないと無いもない。つまり誰も渦が無い、老婆が無い、淑女が無いとも思わない。「渦体」は「観体」とその中の「観念」に完全に依存する。

媒体

「世界部品」ーコー「媒体」

「渦体」は「世界運動」により影響しあう。そして「渦体」間で影響を媒介する部分、それが「媒体」である。

「渦体」と「媒体」は重なりあう。「渦体」は「観体」とその中の「観念」に完全に依存するのと同様、「媒体」も「観体」次第である。

川の例で述べると、渦でない部分、流れの部分が「媒体」であると言える。渦と渦は間の流れを介して影響されあい、それぞれに形を変える。

誰かに声をかけたとしよう。喉の振動は空気の振動となり相手の鼓膜を振動させる。この時の空気が「媒体」であると言える。空気は時には「渦体」にもなり得る。風船に空気を入れたときや、深呼吸をした時は空気という「観念」が「反応」するであろう。「渦体」と「媒体」は「観体」次第で重なりあう。

「媒体」は「世界運動」によってその中の「世界部品」を変化させ「渦体」の変化を伝播する。伝播は拡散し、遠くになればなるほど変化は弱くなっていく。

テーブルにビリヤードの玉が大量に敷き詰められた状態を想像するとよい。特殊な玉として手玉と的玉が1つづつあるとする。キューで手玉をつけば次々に他の玉の位置が変わる。しかし離れると動きは広がるが次第に弱くなっていく。最後に的玉にあたり的玉は少し位置を変える。ここで述べた手玉的玉が「渦体」であり、その他の玉が「媒体」である。手玉もその他の玉も材料はほとんど変わらない。「渦体」も「媒体」も「観体」とその中の「観念」に完全に依存する。

周期運動体

「周期運動体」は「渦体」の一種である。「周期運動体」は「世界運動」により同じ「事象」のパターンを繰り返す。振り子は代表的な周期運動体である。天体や原子も同様である。4ストロークエンジンは吸気・圧縮・爆発・排気を繰り返す周期運動体である。労働者すら労働・受益・消費・欠乏の「事象」パターンを繰り返す周期運動体である。

循環体

「循環体」は「周期運動体」の一種である。「循環体」は「循環体部」で構成される。「循環体部」は「循環媒体」を介して「循環体」を周期運動させる。

地球における水の循環系は全体で「循環体」として認識できる。雨・川・海・蒸発・雲化の事象は「循環体部」である。人工のダムや上下水道なども「循環体部」としてとらえられる。そして「循環媒体」は勿論、水である。

経済の流れも「循環体」の一種である。中央銀行・銀行・企業・消費者・政府が「循環体部」であり、通貨や労働力・サービス・商品が「循環媒体」である。

身体の循環器系についてはは述べるまでもないだろう。

「循環体部」は「循環媒体」を介して「循環体」を周期運動させる。

ポンプ

「ポンプ」は循環媒体を周期運動させる。

水の循環系においては太陽エネルギーによる蒸発が、経済体系においては生産消費者や政府機関が、身体の循環器系においては心臓が該当する。

バッファ

循環媒体を蓄え下流の流れを安定させる。

水の循環系においてはダムが、経済体系においては金融機関が、身体の循環器系においては脾臓が該当する。

トランス

循環媒体の運動を他の系の運動に変換する。

水の循環系においては水車や水力発電装置が、経済体系においては一部の生産消費者が、循環器系のおいては筋肉が該当する。

組織体

組織体は互いに影響しあいうる渦体の集まりである。組織体部にはそれぞれの影響関係があり、全体で一つの渦体をなす。

個々の組織体部の間には非対称的な影響関係がある。これを権責関係と呼ぶ。権側の組織体部は責側の組織体部に影響を与える。責側の組織体部はまた他の組織体部の権側でもありえ、権責関係の連鎖により組織体全体が変化し、組織体外に影響を与える。

例えば、チェスの駒を想像してみるといい。プレイヤーも組織体部の一つとして、全ての駒の権責関係の権側の末端に位置する。プレイヤーは個々の駒の数だけ直接、権責関係を持ち駒を動かせる。駒同士は権責関係がないので、互いに直接、動かしあうことはない。

権力性

権責関係の維持には権力性があることが多い。権力は責側にとっての、ある種の弱みである。社会組織同士においては報酬支払拒否可能性による「金権力性」が、企業組織においては金権力性や「名誉権力性」を併せ持つ「人事考課権力性」が、家庭組織においては愛着による「愛権力性」や、しばしば恐怖による「恐怖権力性」が権責関係の権力となる。非合法組織においては、薬物による「快楽権力性」が使われる事もある。

未組織体

権責関係を持たない、またはその時々によって異なる組織体である。例えば友達同士で集まっただけのルールのない組織体である。無政府状態である。

直接組織体

一つの組織体部に直接複数の組織体部が権責関係を持っている組織体である。一つの特殊な組織体部を「リーダー」と呼ぶ。例えばチェスのプレイヤーであり、絶対王政の王である。

直接組織体は組織体部の増加によりリーダーの管理が行き届かなくなる。

例えばチェスの駒が少ないうちはいいが、例えばその数が500になったとしよう。プレイヤー1人ではそれらの把握は不可能である。

間接組織体

そこで代理のプレイヤーを配置しそれぞれの駒を担当させる。10人の代理にそれぞれ50駒を担当させれば、一人一人は50駒の把握ですむ。代理元のプレイヤーと代理先の10人のプレイヤーはそれぞれ権責関係をもち、代理先プレイヤーは50の駒と権責関係を持つ。代理プレイヤーを「サブリーダー」と呼ぶ。サブリーダーにさらにサブリーダーが権責関係をもってもよい。

政治体制で例えると封建制度や君主制が該当する。末端の組織体部の数に対してサブリーダーが多すぎる場合がある。これは最適化された組織とは言えない。責側の人数は指数的に増加するべきであり、間接組織体は日本語の「人」の字の様に末広がるべきである。

民主組織体

民主組織体は間接組織体の一種である。この組織体のリーダーは組織体部全体によって決められた民意である。友人同士で食事先を決める時に多数決した場合、そこに民主組織体が在る。誰かを食事先決定担当者としてもよい。その人は権側を民意とする民主組織体のサブリーダーである。

業体

業体は組織体の部分の集まりである。営業体部が業体の権責関係を自立して構成する。提供部分が組織体部としての権責関係の責を担う。そして管理体部が業体自身を構成管理する。

例えば企業は社会的な企業群をあわせた組織体としての一つの業体である。営業部門・提供部門・管理部門を含む。自営業者は個人が時間割でそれらの構成部を担う。企業内の個人も時として業体としての性質を持つ事がある。

生体

「生体」は「渦体」である。その代謝保存性は類である渦体の性質でもある。世界部品を内に取り込み、また排出し、渦体としての形を維持する。

生体には組織体であるものもある。多細胞生物がその例である。また、生物以外にも企業組織などの組織体も生体類的な特性が見受けられる。

生体を構成する世界部品の渦体の取り込み可能な範囲は有限であり、また高階な渦体は生体の内で生成できないことが多い。故に生体は他の生体を取り込みその部とする。生物の捕食、企業体の人員採用がそれに該当する。

生体は自身を複製し世界部品を渦体化する。複製は完全ではなく僅かに異なる。これを分裂変異性と呼ぶ。生体を取り巻く環境は変化する。生体は分裂変異を繰り返し、環境変化に対応出来る生体だけが残る。

種々の生体は生き残るのに適した多様な特徴がある。重要なのはこれらの特徴が決して自身の意思で形成されたものではなく、また生き残る目的の為でも決してないということである。あくまでも変異による多様化と環境不適合種の絶滅の繰り返しにより、直観的にはあたかも目的をもって形成したように感じられるだけである。ましてやそこに生きるという意思はない。生きにくい生体は絶滅してしまい結果的に観測されなく、生きやすい生体だけが観測される、ただそれだけである。例えば、子を作らず同族殺人や自殺を習慣とする種族は一時的に発生するかもしれないが、後々にその姿を見ることはまずないだろう。それを禁じた種族が生き残った、それが今日の倫理法律の根本理由であり、「どうして人を殺してはいけないのか」の質問への最も正確な答えである。

結合生体

より変異を大きくする為に類似の生体同士が結合し、それぞれの特性を受け継がせる生体を生成するもものもある。急激な環境変化でも適応可能な生体が出来る確率が高くなる。雄雌がある生物がその例である。

構造体

例えば、分子は原子を構造体部とする構造体である。有機化合物は炭素原子を含む分子を構造体部とする構造体である。たんぱく質は有機化合物の一種であるアミノ酸を構造体部とする構造体であり、細胞はたんぱく質などを構造体部とする構造体である。

建築物は総じて構造体であると言えるし、コンピューターソフトウェアもモジュールを構造体部とする構造体である。

恒星系も恒星惑星を構造体部とする構造体であり、恒星系自身も構造体部として銀河系構造体を組成する。

コネクタ

コネクタは他の構造体同士を関係させ、高階の構造体を形成する構造体部である。コネクタをもった構造体は他の構造体のコネクタとの間で関係を持ち、構造体同士をさらに高階の構造体とする。コネクタ間で関係が発生するかどうかはそれぞれのコネクタの特性に依る。これを「相性」と呼ぶ。

例えば原子構造体の場合は、外殻価電子がコネクタとなり他の外殻価電子との相性によって結合し分子構造体を形成する。有機化合物は官能基がコネクタとなりさらに高階の有機化合物を形成する。

建築物においては部材の接続部分が、コンピューターソフトウェアにおいてはモジュールのインターフェースがコネクタに該当する。

惑星系、恒星系や銀河系においてはその質量がコネクタとなり、構造体を組成する。

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