弘法池の弘法水の行き方と駐車場(石川県白山市釜清水)

日本名水百選・平成名水百選にも選ばれている石川県白山市釜清水にある湧き水です。不思議な伝説や地質学的にも興味深い云われがありパワースポットとしてだけではなく地形観光としてもよく訪れられる場所です。また国道157号線や大規模自転車道である手取キャニオンロード沿いにあり、ツーリングやサイクリングを楽しむライダーの休憩の場としても定番のスポットです。

弘法池の地図

弘法池の入り口と駐車場・駐輪場

石川県白山市釜清水、国道360沿いに入り口

弘法池の入り口は石川岐阜を結ぶ国道157号線から石川県小松市への分岐路である国道360号線沿いにあります。手取キャニオンロードを金沢方向から進むと釜清水交差点、水車が目立つ一揆そば長助のすぐ近くとなります。(手取キャニオンロードからは釜清水交差点を左に寄り道する形になります)

路地は細いが車通行可

入り口は細く、一見駐車場が無く見えますが、車でそのまま入れます。

白山市弘法池弘法水駐車場

駐車場は4台程度。休みの日にはポリタンクを持って訪れる人が多い場所です。

駐輪場は単管装備。手取キャニオンロードのサインクリングでよく訪れる

さすが大規模自転車道沿いということもあり、自転車用の単管ハンガーも備えられています。スタンドのない自転車でも安心して駐輪できます。

弘法池へ

水場へのスロープ。ベンチもあり冷たい水をのみながら休憩できる

水場は駐車場からわずか5m程度の場所にあります。手前は水汲み場で奥にはベンチもあります。林に囲まれた森林浴的な場所で、名水を楽しみながらベンチで休むことも出来ます。

弘法池の弘法水のくみかた・飲み方

中央に見えるのが弘法池で横に立つのが弘法大師像。ちょっとした庭園になっており景色的にも良い場所です。

なんとポンプと水栓が付いておりとても便利

弘法池自体には柵がしてありますが、なんとポンプ装備で水栓で簡単に水を汲むことが出来ます。ポリタンクの場合はホースを利用して給水出来、容器台もあります。2口ありますので譲り合いながら利用しましょう。

コップや柄杓もあるので、もちろんその場で名水を味わうことができます。

北陸地方の生水(生水、清水、聖水、秀水、浄水)(しょうず)について

白山市弘法水汲み上げ部。水面がわからないくらい透明

北陸地方(越の国)では、清らかなおいしい湧き水とその湧水場所のことを「しょうず」と呼びます。「日本名水百選」や「平成の名水百選」に選定された北陸地方の名水・名泉にも「しょうず」と呼ばれている名水ー名が目につきます。生水、清水、聖水、秀水 浄水などの字が「しょうず」に当てられています。「生水ををナマミズと読むか、 ショウズと読むか。。清水」をキヨミズと読む、シミズと読むか、ショウズと読むか。越の国の人々は、次のとおり、ショウズと読んでこれを大切にしてきました。

弘法池のしょうず

手取川渓谷の甌穴

「弘法池」も「しようず」と呼ばれてきました。弘法池とその周辺帯は地元住民か ら「しょうず」と呼ばれて親しまれてきました。ただ、弘法池は、どこにでもあるような、ありふれた「しようず」ではありません。岩盤をまるく、円筒状に深くえぐり取ったお釜の形に似た「しようず」です。他に類をみない特異な特徴ある「しようず」です。そのため「村名由緒書上帳」「郷村名義抄」「三州名蹟誌」「吉野紀行」「小松近郷巡見道之記」などの古い文献には「釜清水(かましみず)」という清水、泉があることが紹介されています。ところが「弘法池」の名は、古い文献上、ほとんど見当たりません。「弘法大師」という諡号(おくり名。朝廷が空海におくった称号)を、関係者が無断で、清水、泉、湧き水の呼び名に使用するなどということはおそれおおいことだ、もってのほかのことだ。知識人を自負する人達は、お大師様の諡号「弘法」をはばかって、無難な「釜清水」と記載して、 トラブルを避けたの下しよう。

このように、古い文献には「釜清水」と記載されていることが多いのですが、住民は「弘法池」「弘法様の水」などと言い伝えてきました。加賀藩家老・横山政和は「小松近郷巡見道之記」に「昔弘法大師杖ニテ突玉ヒショリ出ル水也」とこの村の伝承を書き記しています。加賀藩の重臣なので、加賀藩十村(とむら)役鈴木家に宿泊されました。そして、弘法池だけでなく、伝説ゆかりの「猿鏡(さるかがみ)」(老女が旅の僧のために水を汲みに行った手取川の淵) も見て回った旨、記しています。この紀行文を藩主・前田斉泰(なりやす)がご覧になっています。

弘法池の伝説

休憩ベンチより弘法大師像をと風景を眺めながらながら

昔、ある夏の暑い日、旅の僧が、のど、がかわいたのて、立ら寄った家の老女に「おばあさん、水を一杯くださらんか。」と飲み水を所望されました。老女は、嫌な顔もせずに「御坊様、しばらくお待ちください、お水を汲んてまいリます。」と言って、どこかへ水を汲みに出て行きました。旅の僧が待らくたびれた頃に、ようやく老女は、水を汲んて戻ってきました。そして、汗をぬぐいながら「御坊様、お待たせしました お水を汲んてました。どうぞ、おあがりくたさいませ。」ど旅の僧に水を差し上げました

旅の僧は、水をおいしいただいておいしそうに飲んでから「おばあさん、愚僧のために、すいぶん遠くまて水を汲みに行ってもらったようだが、どこへ水を汲みに行ってこられたのかね。」と老女にたずねました。老女はにつこリ笑って「大川へ下リて、白山川(昔、手取川は白山川と呼ばれていました)の水を汲んてまいリました。それが、どうかしましたか。」と答えました。老女は険しいがけ道をおリて、白山川(手取川)から、水を汲んてきたのてす。旅の僧は、水汲みが難儀な苦労てあることを知って、大変にあリがたいと思われました。そして、老女の親切な対応ともてなしに強く心を打たれたらしく、旅の僧は「あリがたや、あリがたや」と言って、老女にお礼を言って、手を合わせました。そして、しばらく、そのあたリを鋭い眼て見回わしていました。そして、何か念じていましたが、「エイツ」どひと声発して、持っていた錫杖(しよう)を地面に突き立てました。そして、錫杖を旧を描くように動かし、グリグリど地面をえぐり取リました。すると不思議や不思議、まるいまるいお釜のような形の池があらわれました。そして、そのお釜の形に似た池から、冷たく、清らかな水がこんこんと湧き出してきたてはあリませんか。旅の僧は、老女に「この清水(しょうず)は、おばあさんが親切にもてなしてくれた閼伽(水のことを仏教用語では閼伽(あか)と言う)へのお礼てござる。あリがとうと言い残し名前も告げずに、どこかへ立ち去ってしまいました。老女は、キツネに化かされたように、ボカーンとして見送るしかあリませんてした。 これを聞いた人達は、岩盤をまるく円筒状に深くえぐリ取た、お釜の形に似た清水を眼の前にして、ただごとてはない。 このような不思議な奇跡を起こした御坊様は、何者か。名乗らす立ら去られた御坊様は、 いったいどこの誰か。真っ先にに思い浮かんた名前は、 お大師様 (弘法大師・空海) てした。 詮索するまてもな く、 誰もが納得しました。 お大師様の巡錫のこと、そして、 讃岐 (香川県) の満濃池(まえのういけ)の水利事業の功績などは何度も聞いていたからてす。 この清水は、お大師様の法力によるものに違いない。ありがたいことだ。人々は、「何無大師遍照金剛(なむたいしへんじょうこんごう)と御宝号を唱えて感謝の気持ちを込めて、この清水を「弘法池」と呼ぶようになりました。

しかし、 なかには、 弘法大師・空海の諡号 (おく名のこと。延喜2年 (912年) 朝廷が生前の功績をたたえて、空海におくた称号)を軽々しく、みだリに使うことは、おそれおおいことてあるとして、「弘法」をはばかリ、別の呼び名を考えた人々もあリました。例えば「釜清水」ど「釜池」などがそれてす。釜の形に似た清水てあるから「釜請水」。釜の形に似た池だから「釜池」。「釜請水」ても「釜池」ても、どちらてもよいことのように思われるかもしれませんが「釜池」については、熱湯がグラグラど煮えたぎってる池なんだろうなど誤解されかねません。泉や清水ならば、湧き水てあることが明確だが、池の場合には、水が湧き出さない池もあれば、単なる水たまりのようなあリふれた池もあリ、ちょっど素人が考えたなけても、 欠点が多い呼び名てす。 現地を知らない人は 「釜池」 ど聞いて清水てあることがわからない。そこで、泉や湧き水てあるこどを強調した呼ひ名のほうかよい。 「釜清水」と「釜池」とに、あえて優劣をつければ、「釜清水」のほうが優れています。池よりも清水のほうが優れています。そこで、賢者の結論として、集落名も「釜清水」に落ち着きました。

弘法大師ゆかりの名水について

弘法大師にゆかりのある湧き水は、全国に約1 ,000ヶ所もあるといわれています。昭和60年( 1985年) 3月28日、環境庁が日本名水百選に次の4ヶ所の弘法水の伝説のある湧水を選定しました。選び抜かれたパワースポットです。

  1. 石川県白山市(旧鳥越村)釜清水町の「弘法池の水」
  2. 千葉県長生郡長南町の「熊野の清汞(弘法の霊泉)」
  3. 神奈川県秦野(はだの)市の秦野盆地湧水群の「弘法の清水」
  4. 愛媛県松山市南高井町の「杖の淵(じようふち)」

弘法大師・空海(774年ー835年)は、自分が一生を柊えて、眼を閉じた後は、必ず兜率天(どそってん)(弥勒の浄土)に往生する。そして、56億余年後に、弥勒菩薩とともに下生(神仏がこの世に現れること)する。それまては、入定(禅定に入ること)の状態て待つど言い残されたそうてす。その「御遺告」を受けて、高僧や高野聖(こうやひじり)が、全国を回わリ、お大師様の衆生(しゅじよう)救済の巡錫を説いたのて、大師信仰は全国に広まりました。高野聖の人達によれば、お大師様は承和2 年(835年) 3月21日に高野山にて入定しているけれども、今も生きておリ、衆生救済のために高野山金剛峯寺の奥の院大師廟を密かに抜け出して、全国各地を巡錫しているのだそうてす。後白河法皇( 1127年ー1192年)は、「・・・弘法大師は高野の御山にまだおはします」と民衆が歌う流行歌(はやりうた)(今様)を「梁麈秘抄(リようじんひしょう)」に勅撰しました。天台座主慈鎮和尚慈円(じしんかしようじえん)(1155年ー1225年) も、「あリがたや高野の山の岩かげに大師はいまなおはしますなる」のこ詠歌を、宗派を超えて詠んています。信心深い民衆は、その衆生救済の願に感謝して「何無大師遍照金剛」ど御宝号を唱えて、お大師様に敬意と親近感を表してきました。かくして、弘法水の伝説(もてなしのお礼に錫杖を突いて水を湧き出させたパワースホットの話し)は生まれましたどいうことです

地質学的観点での弘法池

弘法池の成り立ち図

「弘法池の水」は、日本に数例しかない珍しい甌穴湧水(おうけつゆうすい)(地下水脈に甌穴が直結した湧水)です。手取川甌穴群の中の最高傑作です。直径約75cm、深さ約190cmの円筒状の甌穴(かめあな。ポットホール)から毎分約20lの湧水があります。この甌穴は、今から 2万年前、手取川の川底の流紋岩質岩盤(グリーンタフ変動の火山噴出物「雲龍山層」) が浸食作用(流水の中の石が回転して穴をうがつ。)によってえぐられてできました。

水質学的観点での弘法池

1993年(平成5年) 11月金沢大学理学部本浄高治(ほんじようたかはる)先生の調査:「弘法池の水」の水質について、水温11.9 ℃、pH6.0、硬度47ppm (百万分率)、有機物0.1ppm以下、塩化物イオン7.8ppm、鉄分0.01ppm以下の成分を含む名水である旨、調査結果を発表されています。弘法池の水は、弱酸性の軟水です。

1996年(平成8年) 8月27日 日本地下水学会の調査「弘法池の水」の主要溶存化学成分などについて、金沢大学工学部木村繁男先生などが調査結果を発表されています。

電気伝導度

主要溶存化学成分

イオン極性 分子 含有量
陰イオン HC03- (重炭酸イオン、炭酸水素イオン) 33. 1mg/ L
Cl - (塩化物イオン) 7.7mg/ L
SO4_2-(硫酸イオン) 10.4mg/ L
NO3-(硝酸イオン) 6.7mg/ L
陽イオン Na+(ナトリウムイオン) 6.2mg/ L
K+ (カリウムイオン) 1.0mg/ L
Ca_2+(カルシウムイオン) 11.0mg/ L
Mg_2+(マグネシウムイオン) 2.3mg/ L
非イオン Si02 (シリカ、ケイ酸) 11.4mg/ L

今、弘法池から湧き出している水は、遠い昔に、雨水や雪どけ水が地中に浸み込んで、浸透域→ 涵養域→流動域→流出域→弘法池へと、地中をじわじわと流動してきた水です。地層の透水性と地層の勾配で流速が左右されます。弘法池の水の地中での滞留期間は、水の年代測定をすれば、数十年間となるでしよう。水質は雲龍山層などの地形・地質・滞留期間を反映しています

(以上、弘法池説明書より)

奥の冷蔵庫?には説明書が無料配布されている。

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