秘境能登猿山岬2019年4月初旬 雪割草を南側深見駐車場より探索→咲いていました(6.2km+472m/石川県輪島市)
雪割草は春の訪れと共に咲く花として人気があります。
一言で雪割草といっても種類は多種多様でここ北陸ではキンポウゲ科のミスミソウ、スハマソウがそう呼ばれます。
日本海側の新潟県の中心に自生しており角田山が有名ですが、ここ石川県でも雪割草の群生が見られる場所があります。
それがここ、能登門前の猿山です。海の絶壁沿いで整備された山なので、開花期以外でも単純に山登りとしてもオススメのスポットです。
群生地へは2箇所スタート地点があります。一つは北側の娑婆捨駐車場、もう一つがこの深見駐車場です。
雪割草を見るだけなら娑婆捨のほうが近く、距離も短いので公園感覚ですが、どうせなら猿山と能登海岸の絶壁の景色も楽しみたいのでロングコースの深見からアプローチしてみました。
能登里山海道西山ICで降りて能登を周回する国道246へ、途中の案内から海沿いに入ればたどり着けます。道も広く案内標識もあるのでまず迷うことはないでしょう。奇石がある景色をみながらのドライブです。
猿山は入山料がかかります。駐車料ではなく入山料なので、人数分小銭を用意しておきましょう。
駐車場から川の左手に入ると小屋がありそこで入山料を払います。そこで杖も貸してもらえ地図ももらえます。特に深見からの場合は急坂があるので杖かステッキ、登山靴はあったほうがいいでしょう。
この角を曲がったら登山口です。
昔は海側の道もあったようですが、今は閉鎖されており山側の急坂のみでした。
先程の町並みが遠のいていきます。
急坂と書きましたが、ちゃんと蛇行が切られておりロープも張られているので安心してください。名山並の整備された登山道です。県の標が所々にあるので石川県で整備しているのでしょうか。
一気に100メートル以上登ります。先は長いので景色をみながらゆっくり登りましょう。背中の町並みは遠のき、向こうの岬の防波堤まで見えてきます。絶景。
やがて急坂が終わり緩い尾根に差し掛かります。群生地まで300m看板がありますが、すでにちらほら雪見草が咲いています。
雪割草は俗称的でその種類は多様です。このミスミソウは三角形の葉が特徴。いろいろな色があり楽しめます。
ところどころにあるブルーシート。ボランティアのガイドさんがいらっしゃって今日咲いている花と特徴を教えて頂けました。ちなみにこのシートはぬかるみ防止なのだとか。後ほどの絶壁もしっかり木道の橋が整備されており、これだけ至れりつくせりで300円は安いです。
ちなみに本日4/6はイチリンソウとイカリソウやスミレも咲いているそうです。
一箇所橋の崩落地点があったので上に迂回路。短距離なのに迂回すると登りがきついので、後ほどの木道の橋一つ一つのありがたみがわかります。
断崖絶壁に木道が連続します。なかなかスリリングな場所ですがこの設備のおかげで安全に渡れます。
1.7km中間地点。向かい側の岬が見えてきます。展望場所もあり休憩もできます。
ここまでくると日当たりもよく明るい雰囲気なります。もうひと上りです。
深見から猿山山頂を目指すなら先に行っておいた方がいいです。逆側からの坂はかなり急で消耗します。
頂上へは稜線になっており左右が開けています。距離はほんの僅かです。
やがて分岐がみえます。右に10mくらいで三角点で行き止まりです。手前はベンチがあり眺めがいいのでお昼休憩におすすめです。
猿山山頂は三角点があるだけで展望はありません。山頂看板の木が迫力でした。
戻って直進すれば北側のスタート地点、娑婆捨です。急な階段が連続します(樹脂製のしっかりとした階段です)
ここで今回最高の群生地をみつけました。
色とりどりの雪割草が岩面に咲き誇っていました。
階段を降りると娑婆捨駐車場。トイレや休憩所もあります。深見と違ってなんだか賑やかな雰囲気です。
娑婆捨から灯台まではさほど距離もありません。運輸省の標がありますので、この区間は国が整備しているのでしょう。道もコンクリートになっています。ちなみに灯台は部材を海から運び入れたそう。
灯台からはルートが2段にわかれています。雪割草群生地は上の段でちょっと登り、下の段は海ぞいの平坦な道です。どちらからでも深見に帰れるのでお好みで。
娑婆捨峠"鹿落とし"
昔猿山には猿と歯科が生息多く、たまたま鷹狩りに来し狩人たちはこの地のりを利用して四方から追手の和を縮め此処に追い詰める。
進退谷なりたる鹿は200mの断崖より飛び降りる他術なし。
こうして鹿を捕る得たので鹿の娑婆捨てであり人間には無関係ではありますから危険ですからご注意の要があります。(案内板より)
逢瀬の谷"悟れじの水"
昔この地に落人 大蔵之介とおやすの老夫婦住み着き薪炭を造り、自活の途を辿る。此処天然の湧き水ありて其の水質良き味の良さを誇りとし、生涯をこの地に果てることを口にし仕事に従い居たり。
この夫婦間に一子娘あり。おはるびじんにして山小町と呼ばれ、日毎両親の手助けをしときには糧の物交などに吉浦部落まで現れることあり。村人も薪拾い茅刈などに山に居たり此のささやかな住居を訪ねることあり。大蔵之介又学問に長じ村の若人達に教えることを厭わず又熱心なる信仰者であり仏の訓に徹し村人たちにも進める。 娘おはるにもいつしかむらの吾一青年との交際が始まり、おはるも薪とりに外出すること度々、村の青年も茅刈に山へ行く事度を重ねるに至る。
或日、山の石影に二人の密談の際に其の岩の上に大天狗現れ、その勤労を讃え汝らの望みは必ず叶わすであろうと述べ立ち消えたり云う。おはると吾一青年は天狗の言葉通り後日契り結ばれ吾一は山の家に婿養子として迎えられ仕事の手助をすることとなり青年の働き又常人に優る。数年にて富を得山を去り、他へ移住したと云う。
一生を此処に果てる覚悟も富によって砕かれ逢瀬の水と別れしも水は永遠に"語れじの水"として今も流れ続けている。(案内板より)