意外に迷いやすいので注意 岩倉清水のせせらぎと岩倉城址山(+233m/石川県小松市)

岩倉城址案内図

岩倉山は石川県小松市にある一向一揆の時代の城跡がある里山です。遊歩道も整備されており+233mと登り1時間程度で手軽に山歩きができます。頂上下には岩倉清水と呼ばれる湧き水もあり、その流れ落ちる川のせせらぎを楽しみながら森林浴を楽しめます。

国道360号沿いの案内板

白山市鳥越から小松市に抜ける国道360号線沿いの案内板が目印です。バス停もありますので交通機関でのアクセスも可能です。自動車の場合は案内板の裏に何台か駐車することができるスペースがあります。

住宅の横から

道路を挟んで反対側の住宅の間に遊歩道の案内板がありますのでそこからスタートします。

住宅街を抜け橋を渡り遊歩道へ

住宅の裏側には渓流が流れており石造りの橋がかけられています。あたりはネットが張り巡らされ、独特の雰囲気です。案内板がいくつかあるのでそれに従い林道を歩きます。

突き当たりには獣よけのネット

林道はネットで終端しています。横が少し開けられるのでそこから入り、右手に足を向けます。ここは案内板はありませんので注意してください。

岩倉城址登り口

やがて遠くに案内看板と石標が見えてきます。横には獣用の檻が設置されておりやや緊張します。

雑種林観察路岩倉城址コース図

コースは往復1時間30分。手軽な山歩きです。

あたりは杉林

車止めのロープがはられていますが、横には歩道がありますのでそちらから遊歩道に入ります。道は整備されており周りは手入れがされた開放感のある杉林です。

岩倉清水より流れ落ちる渓流

最初の傾斜は緩やかです。遊歩道の右手には渓流が流れており水の音に癒されます。

水の音はなくなり斜度は急に

コース図にない分岐がいくつかあるので注意しましょう。基本的に直進すれば大丈夫です。

間違いやすい分岐。左手まっすぐへ。

一カ所、紛らわしい分岐があります。石標を気にせずまっすぐ進みましょう。右手のさむらい道を進むと入り口近くまで戻ってしまいます。この道、入り口側からは入り組んでいる上にの案内はないのが不思議です。帰りには利用してみてもよいでしょう。

気がつくとあたりはブナ林

景色は杉林からブナ林へ様子が変わってきます。

真新しい土止めがうたれており歩きやすい

急な箇所には土止めがうたれており、崩れが防がれています。

斜度は緩くなり再び杉林

この先、斜度は緩くなり、稜線へ。

明るい馬かけ馬場

馬かけ馬場を抜けると岩倉観音と岩倉清水への分岐です。

岩倉観音への分岐。頂上と周回

分岐はどちらへ進んでも周回なのですが、コースに従い右手から進みましょう。

お地蔵さまの横に岩倉清水が湧き出る

岩倉観音本尊は30cmあまりの石仏八ツ手観音坐像である。

痩せた道を慎重に進む

北方の観音山、南方の大峰山と一線をなし、供えられた神酒は腐敗することなく、人々が尊崇が厚い。

ひのきの香りがする岩倉観音堂

いつ、何のために祀られたか不詳であるが、一説には華山法皇が北陸巡幸の時、今日のと東岩倉に模して祀られた千手観音で近くの入道滝と共に、白山修験霊場といわれている。

原町文化財保存会

頂上の岩倉城址。木漏れ日が美しい

観音堂の左手の道を登りきると頂上の岩倉城址です。展望はありませんが明るい雰囲気が心地よいです。複雑な形状の城址の詳しい案内もあり、一向一揆の時代に思いを馳せる事ができます。帰りはもう一方の遊歩道口から戻れば先ほどの分岐です。

頂上の小屋

岩倉城の沿革

岩倉城は一向宗門徒が守護朝倉氏に対抗して築いた山城である。城主は沢米左衛門で家老は勘左衛門、惣左衛門の二人であったと伝えられている。

文明七年、蓮如上人が若狭に去った後、加賀では再び守護富樫氏と一向宗徒の争いが激しくなり、遂に長享二年(1488年)、数万の一向一揆がほうきして富樫政親を滅ぼし、本願寺を背景に僧侶や門徒による合議政体が組織された。

以後、天正元年(1573年)織田信長軍に平定されるまで加賀は「百姓のもちたる国」として武士の支配外にあったが、越前の守護朝倉氏は加賀の一向一揆に脅威を感じ及々加賀領内に侵攻してその勢力削減をはかった。そのため一揆側は城や砦を築いて戦った。

これら城砦の中で最も安全な形を残して現存するのが岩倉城であると言われている。

城山や 風渺々と萩の散る

1988年9月 記

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