プルンとした湧水と無数の地蔵群 上日寺の大イチョウと観音菩薩霊水伝説まとめ(富山県氷見市)

プルンとした湧水

上日寺(じょうにちじ)は、山号は朝日山(あさひざん)、高野山真言宗の寺院です。創建は白鳳10(681)年で、開基は法道上人、日の出遥拝の聖地として朝日山上日寺と名付けられ、日見=氷見の地名の由来ともなったといわれています。かつては七堂伽藍が完備し、18坊を有した大寺でしたが、、数度の火災により、現在は江戸時代の本坊、観音堂など数宇を残すのみです。古くから「銀杏精舎」と呼ばれており、大きなイチョウの木(大公孫樹)で知られています。樹齢千三百年のこの木は、なんでも、当寺開創の白鳳年間に植樹されたといわれています。大正15(1926)年に国指定の天然記念物に指定されました。現在、このイチョウの木は幹周り12メートルで、その太さでは富山県内の全樹木の中で第一位です。

上日寺の入り口

大イチョウ

上日寺の大イチョウ

上日寺の伝承では、この大イチョウは上日寺の創建時、約1300年前に霊木として植えられたと伝えられているが、この木の手入れを行った樹木医の見立てでは、実際の樹齢はおよそ900~1000年ではないかと推測されている。その根拠として、イチョウの木は1300年前の日本には存在せず、平安時代に僧侶によって苗が中国からもたらされたという説があるため、その頃に誰かの手によって意図的にお寺のそばに植えられたのではないかと考えられている。

上日寺のイチョウの案内板

観音菩薩霊水

観音菩薩霊水

この清水〈しみず〉は上日寺を開いたころ千手観音菩薩〈せんじゅかんのんぼさつ〉を安置〈あんち〉したところ湧〈わ〉き出したものとされ、この水で本尊〈ほんぞん〉を洗〈あら〉い清〈きよ〉め、その霊木〈れいぼく〉としてイチョウを植えたといわれている。古くより、無病長寿〈むびょうちょうじゅ〉に効〈き〉く霊水〈れいすい〉といわれ、近年では茶道にも使われている。傍〈そば〉には、国指定天然記念物〈てんねんきねんぶつ〉の大イチョウがそびえ立つ。

観音菩薩霊水の案内板

行田池

行田池にかかる橋

大イチョウのすぐそばには無病長寿、眼病平癒の効果があるとされている霊水「上日寺観音菩薩霊水」が湧きでており、その向かいには龍神が降り立った伝説がある行田池(龍神池)があり、これも湧き水でできた池である。

行田池

このように水にまつわる名所があるのには理由がある。それは、上日寺が朝日山の付け根にあり、緑豊かな山が貯め込んだ水が地下すぐ1.5mに豊富に流れているためである。また、上日寺では毎年ごんごん祭りが行われているが、このごんごん祭りは、雨乞いの成就のお祝いが由来であり、雨乞いが上日寺で行われたのも、朝日山に水が豊富なことと無関係ではないだろう。

色味がかった行田池

行田池の案内板

石仏群

石仏群の案内板

88の札所を回るお遍路巡りといえば四国八十八箇所巡拝が有名だが、朝日山上日寺ではなんとその巡拝が一瞬で出来てしまう、ご利益満点のスポットがある。上日寺観音堂のそばに並ぶ88の仏様を参拝することで、四国巡拝と同じご利益があるというなんとも豪気な場所なので、大事の前の願掛けには、こちらでお参りしてみるといいかもれしれない。

如意輪観世音菩薩

昔、氷見の加納に当麻という男がおり、村人は「たいまさ」と呼んでいました。当麻が太田の浜を馬で通ったところ、「たいまさー」と呼ぶ声がします。よく見ると、一寸六分(約5cm)の黄金の仏様が砂浜に埋もれておられました。当麻は仏様を家にお連れし、あまりにも恐れ多いので、一番に朝日が当たるところ、朝日山上日寺にまつったといわれます。

如意輪観世音菩薩裏の建物

石碑が立ち並ぶ

観音堂

観音堂

「ごんごん祭り」は江戸時代末期には「早鐘まつり」と呼ばれており、もともとは朝日山での雨乞いに由来する。江戸時代の初めの頃、この地一帯で大干魃があったという。そこで、水に恵まれた朝日山の観音様に雨乞いの祈祷をしたところ、その望みが叶い、雨が降りだして飢饉を免れたというもの。狂喜した人々が、撞木を肩に担いで釣り鐘を突き鳴らしたことが、ごんごん祭りの由来と云われている。

古い仏画

かつては雨を喜んだ祭りであったが、いつのころからか天候の順調を願う祭りとなり、撞木を担ぐ独特の鐘つきも、力くらべの鐘つきとなった。そして祭りの呼称も、鐘の音にちなんで「ごんごん祭り」に転じたのだという。これに倣って、18日には「ゴンゴン鐘つき大会」が催される。これは制限時間1分間の間に、松の丸太を担いで何回鐘をつけるかを競うイベントで、地元の力自慢の男性たちが集まり、その力を競っている。

閻魔堂

閻魔堂

閻魔(えんま)は仏教、ヒンドゥー教などでの地獄、冥界の主。冥界の王として死者の生前の罪を裁く神

閻魔堂内閻魔像前

嘘をついた者は、地獄で閻魔に舌を引き抜かれる刑に処されるという俗説があり、子供を叱る際に使われた。またむかし和釘を引き抜くのに使われた、やっとこ形の釘抜きを「えんま」と称した。

閻魔堂内部地蔵前

日本仏教においては地蔵菩薩と同一の存在と解され、地蔵菩薩の化身ともされている

閻魔堂の中の地蔵群

閻魔堂の案内板

石仏群

石仏群

昔々の元禄の時代、朝日山の山門のそばに娘が住んでおりました。その娘は、鬼女のような継母に日々いじめられておりました。ある日、いじわるな継母はお腹をすかせた娘の前でこれみよがしに餅を食べはじめました。これを見た娘はとうとう耐えかねて、その餅を一片ねだったところ、継母はたちまち怒りだし「あのお地蔵さんが餅を食べたらお前にもやるよ」といじわるを言いました。娘は泣く泣くお地蔵さんのもとへ行き、手を合わせて必死に祈りました。すると、お地蔵さんの腕が動きだし、餅をつまんで食べたのです。それを見た継母は驚き、今までの罪を改心して、それからはいい母になったそうです。

稲荷社

無数の地蔵

昔、願うとなんでも叶えてくれるという、とてもありがたいお地蔵さんがおりました。行事で使う物品が足りないとき、借りたいものをこのお地蔵さんにお願いすると、翌朝には揃って置いてあるのです。人々はこのお地蔵さんをたいへんありがたがって、借りたものを返す時に、お礼としてお酒を供えていました。ある日、お地蔵さんにお酒を供えた男が暫くして戻ってみると、なんとお地蔵さんの頬にほんのり紅色がさしていたそうです。

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