エコ堆肥と宮木正浩氏のこと

はじめに

本文は2015年に亡くなられた宮木正浩氏について筆者の主観的な認識にもとづき書かせて頂いた内容をご遺族の方の了承を得て公開するものです。実際の事実とは異なる可能性もあります。ご了承ください。

形見のサングラス

メールの返事

「宮木さんの突然の訃報、お悔やみ申し上げます」

寒さも和らいだ春先の暖かな日差しの中、突然届いたメールの文面を再度読み返しました。

なぜなら当人にはついさっき、今週会えないかの旨のメールを送ったばかりでした。差出人は共通の知人のKさんでした。

Facebookを開くとそこには多くのお悔やみのポスト群。Kさんに慌てて電話をつなげます。

宮木正浩さんは2015年3月6日に高速道路で不慮の交通事故により亡くなられました。

若干54歳、栃木県のホームセンターへ宮木さんが自ら作られた堆肥商品を配達するその途中でした。

はっきりとした原因は不明です。午前3時頃、宮木さんのトラックが路肩に駐車され、大型トラックが接触、本人は数メートル先に飛ばされ脳挫傷と全身を強くうち、搬送された病院で死亡が確認されました。

告別式でのたくさんの方が涙される中、お顔を拝見させて頂きました。愛用の作業手袋、花に包まれたお顔は安らかでしたが、痛々しい修復された跡の印象が胸に強く刺さります。

頬をなでると、そこには生前に握手をした時の生き生きとした体温は既にありませんでした。

それまで抑えてきた衝動が急に体の底より湧き出てきて、神経を鼓動させ涙を溢れさせます。

代行運転

筆者が宮木正浩氏と始めて会ったのは2006年ごろだったと思います。

当時の筆者は代行運転の仕事をしていました。仕事と言ってもアルバイト程度で、人手が足りない時にヘルプに入るような勤務でした。

この業界の従業員の入れ替わりは目まぐるしく、毎週の様に新しい顔を見るのが当たり前です。

いつもの様に夜9時の事務所に行くと、目つきの鋭い短髪で声の大きい男性が配車係と談話しています。

内容は「代行運転業なんて始めるの簡単ですよ」と言った話でした。

この仕事をする人はみんな変わった方が多い様な気がしますが、この人は特に変わっているなという印象でした。

もちろん独立を狙っている人もいますが、堂々と事務所でそれを話すなんて。代行運転業は同じパイを取り合う商売です。

簡単に挨拶をすると今度は「自分は前に悪いことして新聞に出たことあるんですよ」と、隠しもせずに言います。話し方はとても丁寧なのに言っている事が飛び抜けています。

代行運転は2人ペアになって仕事をします。一人は2種免許保持者、一人は1種免許で、2種免許保持者同士が一緒になる事はめったにありません。

伺うとこの方は筆者と同じく2種免許保持者とのこと。

それでも、その時の筆者はなぜかピンと来たものがあったので、連絡先を聞いてみました。会ってすぐ2種同士が連絡先を聞くなんてあんまりないケースなのですが、この方はびっくりもせずに快くを教えてくれました。

名前は宮木正浩さんと名乗られました。

リサイクルショップ

宮木さんと次に会ったのは、それからしばらくしてからのことでした。ファミリーレストランだったと思います。

お話を伺うと新聞沙汰とはいっても人を殺傷したとか窃盗したとかそういうものではく、自分が責任者であった業務においての違反行為で問題になったのだとおっしゃっていました。

「ネットで名前を調べるとすぐに出てきますよ」

隠す事も無く言う様はむしろ潔さも感じます。人間、自分にとって不利益な点をさらけ出すとむしろ信用を増すものです。筆者もそのさっぱりとした性格に好感を感じました。

残念ながらその一件で取引先離れがおき、一度は破産にまで追い込まれたらしいのですが、本人はそんな大変な話を生き生きと笑顔で話します。

もし自分だったら言いづらい事ですし、こんな風には話せないだろうなと思いました。

そして今は知人の経営者を手伝う形でリサイクルショップをやっておられると話しておられました。

すると突然に携帯電話を取り出し電話を始めます。相手はその共同経営者の方の様です。

「いまからいくから」

筆者をその人と引き合わせるつもりらしいです。こんな夜の仕事で知り合って始めて会ったどこの馬の骨ともわからない筆者を大切なご知人に紹介するなんて。

自分の人脈を惜しげも無くどんどん繋げる太っ腹さ。こういう所が、後になってみれば彼らしいところだなと思い出されます。

その日は、その共同経営者のKさんの倉庫を見せてもらってその場は別れました。リサイクルショップの倉庫は全く異業種だったのでなかなか新鮮な体験をしました。

古物商の免許とリサイクルショップの始め方、一般客以外への販路などについても教えてもらえ、とても刺激のある時間でした。

トラブル

「車屋とトラブルがあった」

知人からメールがありました。電話で話を聞くとなんでも、車検を始めての車屋に依頼した所エンジンの致命的な問題が見つかり修理費見積もりがあまりに高額だったので、どうせならと別の車を違う車屋で買って元の車検をキャンセルした所、今度は高額な代車費用の請求が来たとのこと。

なんか話だけ聞くと悪徳な感じです。多分、代車費用は車検の場合はサービスなのでしょうけど、個別には事務所の料金表には書いてあるはず。

それにしても、車検はキャンセルでも24ヶ月法定点検費用はちゃんと払ったのだから、それくらいで勘弁してあげればとも感じます。それほど、その代車費用の請求は高額でした。しかも、車検を頼んだ車は留置権で返してもらえない状態とのこと。

とりあえず知人にはすぐに代車だけでも一方的に返す様に言って、筆者の方から第三者として、問題の車屋に電話してみることにしました。

トゥルルー

「はい、車屋です」

「突然すみません、xxさんの知人の者ですけど、代車代の請求についてお話があるのですが」

「(突然声色が変わり)そういった件は書面で送ってください書面で。ブツ」

・・・ますます悪徳っぽい雰囲気です。

他の知人に聞いても「それ合法だから払うしか無いよ」とか後ろ向きな答えしか来ません。たしかにそうなのでしょうけど、もし自分が当事者だったらと思うと、価格も提示されていない費用をあとづけで払うなんてなんだか腑におちません。

そんな時、ふとこの前会った宮木さんの事が頭に浮かびました。そういえばあの方なら経験豊富そうだしなにかアドバイスをもらえるかも。そんな思いで当事者の知人をつれて会いに行きました。

突然の相談に、宮木さんはしっかりと事情を聞いてくれました。しかもなにか楽しそうです。なるほど、この人はこういったもめ事がむしろ好きなんだなと直感的に感じました。

「警察に相談して記録とってもらうといいですよ、あと内容証明も送ってください」

警察?、こういった場合は民事不介入でかまってもらえないのでは?と思うも、また宮木さんはどこかに突然電話を始めます。前と同じパターンです。

「いまからいくから」

電話口でそんなこと喋っています。どこに行くんだろう?と思って連れて行ってもらった先は、車屋の管轄の警察署。なんで警察まで知り合いにいるんだろう。

警察署の担当は意外にも丁寧に話を聞いてくれ、内容とこちらの連絡先を記録してもらいました。でも最後には案の定「警察としてはお金に関するトラブルは直接は動けないので、当事者で話し合ってください」と言われました。しかし、この無意味にも見える行動があとで救済になることは思いもよりませんでした。

内容証明とは郵便局が第三者として内容を証明してくれる特殊な郵便です。これも調べて郵便局で聞きながらなんとか送ってみました。内容はこちらの主張、特に代車代は有料だとは聞いていなかった事、車検はキャンセルだが24ヶ月点検分だけ払う意志があることを記しました。

しばらく時間がたって、知人の所に一通の手紙が来ました。差出人は弁護士事務所です。「車検中の車には留置権があるので、代車代を支払うまで返さない。支払いが遅れたら年xx%の金利を請求する」との内容でした。

「車屋と契約している顧問弁護士でしょう。気にしなくてもいいですよ。あとは直接行って話をしてください。」

言われるまま、知人を連れて問題の車屋さんに行ってみます。

もう営業時間外なので、人はいなさそうです。おそるおそる呼び鈴を押すと・・・・・後ろに車がとまり、初老の男性と体格の良い強面の人が出てきました。この人達っぽいです。

「代車代の件でお話があるのですが」

恐る恐る言うと・・・初老の男性が突然どこかに電話をかけました。「不審者がいる。すぐ来い」と言っています。そしてその電話を筆者に渡します。その相手は・・・・・

「xxx警察署です」

あの時の警察署です。なんと男性はいきなり警察署に電話をしたのです。「あ、すみません、先日お伺いしたものですが」一度相談をしているので助かりました。「ああ、あの時の・・」

事情を話して警察の出動は免れました。初老の男性はこちらが警察と知り合いだったので意外そうです。

結局その場は、話し合いの示談で解決に至りました。どうやら向こう側としても内容証明が送られてきたのでかなり警戒していたそうです。いい意味で威圧出来たんだなと思いました。

解決が出来て宮木さんには知人と共にお礼を言いに行きました。

警察への根回しや普段は使わないような交渉手段、やはりこの人はただ者ではないなと感じたものです。

タクシー

「タクシーやりませんか」

宮木さんから誘いがありました。タクシー?そんなの簡単にできるとは思っていませんでした。なんでもアルバイトの扱いでは、好きな時に行って好きな時に帰ればよい気楽な勤務形態なのだそうです。

前々から興味はあったのですがなかなか機会がなかったので、率直に興味ありますと伝えると、彼はまたどこかに突然電話をかけ始めます。またです。

「いまからいくから」

連れて行かれた先はタクシー会社。なんとその日から登録して研修をして実務開始です。

まさか当日から実務するとは思っていなかったので戸惑いましたが、2種運転の経験はあったので最低限には業務をこなせたと思います。

しかし、何点か残念な事もありました。

当時はGPS配車などはなく無線配車でした。これは鳴りますが、これは早い者勝ちなので初心者はとらない方がよいだろうと遠慮していました。

そして「拾い」と呼ばれる、お客さんに直接乗ってもらえる機会の少なさ。なかなか停車していても横を素通りして行って乗ってもらえません。

終わった後、宮木さんと会って、その事を相談しました。

彼はにやりとしながら、無線の取り方や「拾い」のとりやすい場所などを詳しく話し始めました。

すごいなと思ったのは、それらは人から聞いた話ではない事です。

この人は常日頃から漫然と仕事をするのではなく、よりよい方法を考えて自分で実験を続けて「裏技」を編み出し続けているのだなと感じました。

そして、実際、それを真似するとすぐに結果に表れました。

たかがアルバイトと思われるかも知れませんが、そういった「最適への探究心」は人生のどんな時にでも役に立つものです。

陸送代行

「陸送と代行運転をあわせたらいいと思いませんか?」

宮木さんはいつも突拍子もない事を言います。その時も食事をしている時にそんなことを言いだしました。

なるほど、たしかに代行運転の問題は客車と搬送車の二人分の人件費がかかることです。

お客さんだけを提携タクシーで自宅まで送迎してもらい、車を別に陸送することで待機人件費を大幅に抑えられる、そんな画期的なアイデアでした。

1000人の人がアイデアを出し10人の人が実行し1人の人が成功する。なかなかアイデアだけ出しても実現に至る人は少ないのが現実です。

しかししばらくしてからかかってきた電話に筆者は驚きました。

「陸送代行を開業しましたよ。」

本当に開業されたのです。有言実行とはこのことです。

事務所に行くと、代行運転のシンボルとも言える行灯まで完成し、この地方では珍しい外部料金メーターまで装備しています。

しかもこの行灯、当時はなかった白色LED行灯を使い、他の代行業者から比べたらとても目立つものでした。

筆者も興味があったのでお手伝いさせてもらい、一台伴走車を借りて一緒に街で客待ちをしていたものです。

代行の客拾いはある種の「テクニック」がものを言います。

2台で並んでいる時、筆者の車の横を素通りした客が、なぜか宮木さんの車に近づき代行の依頼をする。そんなことが度々ありました。

彼にはなにかそんな不思議な人を引きつける能力があるような気がします。それにしてもアイデアを即実現する行動力、改めて感心したものです。

携帯電話とiPad

「それ3つください」

電気屋での出来事です。3つは電球ではありません、なんと携帯電話の契約です。

一緒について行ったこちらが驚きます。当時はパケット通信のメッセンジャーなどはなく、メールやSMSでした。同じキャリア同士は通話やメールが無料設定されていることも多く、代行のお客さんそれぞれ向けに3台キャリアの電話を契約するのだそうです。

それにしても豪快な買いっぷりです。端末のスペックなどは見ずに即決め。ただ番号にはこだわりがあるらしく、下の桁がゾロ目のものを店員さんに言って奥から出させていました。この辺りの、ある種の「図々しさ」も見習うべきところです。

携帯電話の後でも新しい機器は積極的に利用し勉強されていました。

まだiPhoneがそれほど普及していない時にiPadを発売と同時に購入し、宣伝用の動画をループ再生するのに使われていたのが印象的です。それまではホームセンターの説明動画はDVDプレイヤーが主流でしたが、そのような用途にiPadを応用を始めたのは日本では最初の方なのではないでしょうか。

最新型のMacbookProを片手にホームセンターを駆け回る姿は今でも印象的です。

上海

その時たまたま筆者は蘇州にいました。今中国にいますよとちょっと自慢げに宮木さんに連絡してみます。すると帰ってきた答えにびっくり。

「私も今中国むかっていますよ」

なかなか無い偶然です。まったく打ち合わせをしたわけではないのに。丁度上海に行くらしいので、適当な場所で待ち合わせして食事でもすることになりました。

なんでも、前職で中国人の知り合いがいたらしく、その方を訪ねられて来たとのこと。グローバルな方です。

待ち合わせ場所にはてっきりスーツケースひきながらやってくると思ったのですが、彼は手ぶらでした。

荷物はどうしたんですか?と聞くと、なんと本当に手ぶらで日本から来たとのこと。そんな人みたことないです。

お知り合い方はチョウさんと言う女性の方でした。現在、お茶の小売りをされているらしく、お店を見せてもらいました。

なんでも最近増えてきた日本人観光客をターゲットにお茶を売りたいとのこと。

日本語のチラシを作ったようで、宮木さんと二人で添削をしてあげました。

「さっそく配ってみましょう」

やはりというかなんというか。行動せずにはいられないタイプです。しかも自分の利益はないのに。

二人で上海の地下街にビラを持って立ちます。まさか海外に来てこんなビラ配りをするとは思ってもいませんでした。

日本人っぽい人を見つけ声をかけてチラシを配る。それだけですが、とても印象に残る体験でした。

その日はチョウさんにディスコやあやしいブランド市場(もちろん買いません)などに連れて行ってもらい、また日本での再開を約束して別れました。

競売

不動産競売が好きな方でした。筆者も興味があるので、よく裁判所の情報を見ながらあれこれ語ったものです。

「私、山を持っていますよ」

山は確かに格安で買えるのですが、どうしてわざわざと思ったものです。山菜採りですかと聞くと

「山は道路が通ったりした時、高く買い取ってもらえるんです。あと廃棄物処理場も作れる可能性もあるんですよ」

なるほど、宝くじみたいなものなのですね。

その後も田舎の広大な土地を落札したりと、ちょっと変わった物件がお好きな方でした。

そしてエコ堆肥

「エコ堆肥って名前どう思いますか」

突然聞かれました。当時は環境や節約のブームだったこともあり、エコという名前は珍しいものではありませんでした。

肥料というと横文字の長い名前のものが多い印象だったので、覚えやすくていい名前ですねとお答えしました。

なんと今度は有機肥料を作られるとのことです。そんなに詳しいとは思っていなかったのですが、ご自宅にお邪魔すると本棚には農業関係の資料でいっぱいでした。

建築から廃棄物、運輸から農業まで幅広い知識があり、本当にたいしたものです。

基本的にホームセンター向けに営業をするつもりだとお聞きしましたが、加えてネット通販もしたいのとことでそちらのお手伝いさせて頂くことになりました。

用意されたエコ堆肥のパッケージは宮木さんのテーマカラーである緑と黄色で作られたとても洗練されたデザインで、ホームセンターに並んでいる肥料と比べてもとても目立つ印象のよいものでした。

あわせて用意された運搬車もまた鮮烈なものでどこを走っていても目を引きます。

エコ堆肥運搬車と宮木氏

「目立てば目立つほどいいんですよ」

この辺りは陸送代行の頃からの家芸とも言えるでしょう。

ネットの方は大手ショッピングモールと自社サイトへの掲載。当時はあまり肥料の通販は無かったのと、ぼかし肥料ブームからか最初からそこそこの売れ行きでしたが、ホームセンターへは飛び込み営業です。

それでもほどなくして地元の有力店への納入が決定、エコ堆肥コーナーにはこれまた目立つポップやのぼりが立ち並びました。また、宮木さん本人が店頭応援に立ち自らご説明される姿を目にしたものです。

彼は堆肥を買われたお客様とのコミュニケーションを特に大切にしており、時にはお客様が実際に菜園されている場所に行き、一緒に手伝うことで要望や使い方を学んだりしていました。

そしてエコ堆肥と他社堆肥との比較植え付けをさせてもらい、その成果を自社ホームページに掲載することでぼかし肥料の有効な効果を証明していきました。

そんな努力もあり、地元のみならず関東の大手ホームセンターへの納入も決まり、配達に全国を走り回る様になるまではそう時間はかかりませんでした。

ブログからFacebookへ

筆まめな方でした。ホームページの販促の為にと始められたブログでも毎日欠かさず配達に行った先の風景や珍しいものを、たくさんの写真と説明文で掲載されていました。

特に営業がかかったものではなく、一般の人が見ていても旅行をしている気分になり時にはご自身の経験を生かした豆知識も入ったとても面白い記事でした。

そして感心するのがそれが何年も続く事です。ブログは充実した内容であればあるほど、継続には根気力がいるものです。それでも、彼は欠かさずにブログを書き続けました。

しかしながらネットは広大です。どんなによい記事でも読者の数としては当時それほどではありませんでした。

時は流れて時代はブログ主流からSNSへ移り変わって行きます。年齢にしては新しいものに抵抗の無い彼も活躍の場を徐々にブログからFacebookへ移行されていきました。そして彼は一日数千いいねを生み出す人気タイムラインを生み出す事になります。

コップの水

「今日も1000いいね!到達しましたよ」

いつも会う度にうれしそうに語られたものです。なるほど彼の投稿はブログ時代と変わらず、配達の時の美しい風景や珍しいものが掲載されており知らない人が見ても興味が持てるものです。

それにしても一般のブログで1000ヒットするだけでもすごいのに、「いいね」だけでもそれだけの数に到達するとはどれだけの視聴者がいるのでしょう。

ある時お願いして、何気ないテーブルの上のコップの水の写真をなにも書かないで投稿してもらったことがあります。

その時のいいねは700。しかもすごいのはそこからでもコメントが伸びることです。「このコップの柄はxxxのお店ですね」などなど。

普通の人が、テーブルの上のコップの写真を投稿してこんな反響があるでしょうか。彼の人望に改めて感心したものです。

そして何よりすごいのが、その大量のコメントに一つ一つ喜んで返信されている姿。この人は本当に人と接するのが好きなんだなと思いました。

深夜の一人での配達はやはり寂しく心細いものです。そんな時にFacebookでにもらえるコメントはどれだけ彼の心を癒したでしょう。まさにFacebookに出会った宮木さんは水を得た魚そのものだったような気がします。

最後の書き込み

「栃木県足利市のスーパービバホーム堀込足利店に向かってGOGO‼ 」

2015年3月6日0時1分、これが彼の最後の書き込みです。写真にはインターチェンジのゲートが映されていました。

0時1分なのは高速の深夜割引をよく利用されていましたので珍しい時刻ではありません。

その3時間後、その110km先の入善町一宿にて彼は帰らぬ人となります。

事故の詳細は不明で、彼のトラックが路肩に停まっていた事、その扉をそく形で衝突した大型トラックの先に彼が倒れていた、ということしかわかっていません。

仮眠していたのでは、とか投稿写真をとっていたのではという声もありますが、この場所は入善PAまでたった2km足らずの地点。そして当時は真っ暗でした。

ちょうど川を渡る橋の上でここだけ路肩が狭く、もしトラブルがあってたまたまここに停車したのではと思うと、不運としか言いようがありません。

次の日の昼、報道を聞いて心配した知人の書き込みが最初にあり、タイムラインがざわついて来ます。

「宮木‼ 仕事をしながら、耳に入ってきた昼のニュースに、あなたと同性同名の54歳の男が、交通事故で死んだと言っていたような?夕方のニュースまで確認できないので、元気ならすぐに返信して欲しい。」

「嘘だよね?何かの間違えですよね?」

・ ・

そして次の日の深夜、本人のアカウントからアクセスが確認されます。しかしそれは残念ながら本人ではなく、ご遺族からの書き込みの為のアクセスでした。

宮木正浩の妹です。

この度は交通事故により死亡したら兄に本当に本当にたくさんのメッセージを有難うございます。

兄に成り代り心よりお礼申し上げます。

個々にお返事を差し上げられない事をお許し下さい。

人生の目的

葬儀と告別式が終わり、棺を収納した車が葬儀場を離れて行きます。

目まぐるしく過ぎた数日間。

手元の端末を開きます。3日前に本人に宛てたメールには当然返事はありません。

あれだけ仕事熱心で人好きでアイデアマンだった彼がもうこの世にはいないとは、告別式でそれを目の当たりにしてもまだ受け入れ難いものがあります。

数年来の努力の末の営業成果が実り、季節的にもちょうど繁忙期に差し掛かった時でした。裏を返せばそうだからこそ起こった出来事とも受け取れます。

彼は何を目標にしていたのでしょうか。その目標にはたどり着けたのでしょうか。

返ってくる答えはありませんでした。

その後

その後も彼のタイムラインへの書き込みの勢いは続きました。

彼の記事でも特に人気のあった新幹線の開業時や、残った社員さんやその協力者さん達によるエコ堆肥の配送復活時にはにはたくさんの書き込みやいいねが寄せられました。

その勢いも少し落ち着いては来ましたが、ちょくちょくお友達の方々がまるで彼が生きているかの様に話しかけてくださっています。

きっと彼はまだネットの中、そして人々の心の中で生き続けているのだと思います。

今でもふと携帯を手にとってFacebookを開くとひょこっと彼の旅先での書き込みが流れてきそうな気がしてなりません。

「今栃木に到着しエコ堆肥納品完了しました。途中に綺麗な半円の虹が見えました!」

氏の投稿より

この記事を見た人がよく読んでいる記事

カナシスコム > 節約ラボラトリ > エコ堆肥と宮木正浩氏のこと