戒壇巡りと秘法の護摩木 倶利伽藍不動寺 西之坊鳳凰殿(石川県津幡町)
石川県津幡町と富山県小矢部市の境にある倶利迦羅不動寺は真言宗高野山の別格本山として成田不動尊、大山不動尊と共に三大不動尊の一つとされている重要なお寺です。
そして西之坊鳳凰殿はその倶利伽藍不動寺にかつて存在した十二ヶ寺の復興事業の一つとして1998年に津幡町竹原地区に立てられたお堂です。
このお堂、戒壇めぐりとして本堂の地下に入ることも出来ます。戒壇めぐりといえば長野の善光寺などが有名ですが、ここ石川にもあり、しかもなかなかの長さであることはあまり知られていません。
戒壇へは本堂の右奥から下ります。入りたい旨を告げ300円を納めると御清めの塗香を手につけてすりこみませて貰えます。塗香はとても懐かしいよい香りがします。
入り口を開けてもらうと右手に木製の10−20cmくらいの数珠が見えます。これを右手に辿っていくことになります。背後を閉められると、もう真っ暗です。
夜の暗さではありません。目をつむっているのか開けているのかがわからない程の闇を体験することが出来ます。
すり足で頼るのは数珠のみ。手についた塗香の香りが漂い遠くからは般若心経の音が聞こえてきます。無限に続くかの様な闇でなんだか不思議な気分に成ります。やがてぼんやりと水晶である如意宝珠を確認でき、触れることができるでしょう。
宝珠からは再び闇。その長さ約100歩以上。やがて懐かしい光を感じられ本堂の横に戻ってきます。時間にすると5分から10分程度なのですが、とても長い時間、戒壇の中にいた様な錯覚になります。
戒壇巡りをすると、小さい如意宝珠も頂けます。
護摩木を使った護摩法は密教の秘法です。毎日特別な薪が本堂で焚かれ、願いを書いた木片(護摩木)をもやし、成就が祈念されます。これも本堂の受付でお願いすれば300円を納め書くことができます。
倶利伽藍不動尊は今を去る一千三百年の昔、養老二年、元正天皇の勅願によりインドの僧善無畏三蔵法師が山頂付近にある不動ヶ池において国家安穏・万民豊楽の祈願をなされた折、感得された「倶利伽藍不動明王」をそのまま彫まれ、泰安されたことにはじまる霊場です。
それより約百年後(弘仁三年)、弘法大師が諸国を巡られる途中、当山にてその不動尊を拝せられ、あまりの有難さにそのお扉を閉められると共に、ほぼ同体の不動尊をお刻みになり御前立不動尊となされました。
倶利伽藍とはインドの言葉(サンスクリット語)で件に黒龍が巻き付いた不動尊のことで、古来「倶利伽藍紋々」として入墨にまでされて広く信仰されてきているものです。
この様なお姿のお不動様は日本では唯一尊であり、その御名をとってこの山を倶利伽藍山と号し、北陸はもとより全国の不動尊霊場となっております。
平成十年、古来の倶利伽藍不動尊七堂伽藍十二ヶ寺の一つ西之坊(鳳凰殿)が総桧造りで当地に創建され、バリアフリースロープ階段も設置され、より広く皆様のお寺としてその法灯が継承されております。
鳳凰殿は七福神と無数の観音像に囲まれており、その周りは丘の様になっています。これが七野墳墓群です。
七野墳墓群は弥生時代終末期の墳墓群で発掘調査の行われた一号墓からは、北陸では初の出土例となった素環頭刀子が発見されています。
現存する三基の内、二号墓は山陰地方に多く分布している四隅突出型墳丘墓と呼ばれるもので、学術的に注目されています。
古墳は大きくわけて1号古墳と2−4号古墳に別れており、どちらも展望はとてもよく、鳳凰殿を始め遠くの山々まで見渡すことができます。
鳳凰殿左手には古札納め所があります。古くなったお札等を納めることができます。
古札納め所には先代住職三女である五十嵐淳敬氏が描くかわいらしい仏様のイラストやカレンダーなどもならびます。
胸をうつ元気になれる言葉と暖かみのある絵柄です。
美しい庭園と平安を思わせる寝殿造りに北陸では珍しい戒壇めぐり、宗派を問わず人気のある津幡町のお寺でした。
参考リンク
定休日 | 年中無休 |
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営業期間 | 9:00~17:00 |
駐車場 | あり |
住所 | 〒929-0426石川県河北郡津幡町字竹橋ク128 |
TEL | 076-288-1828 |
公式HP | http://www.kurikara.or.jp/ |