歴史散策と美しいブナ林 石動山(+195m/石川県中能登町)

石動山

石動山は石川県能登地方の565mの山です。中能登町にあるその山はとても歴史がある場所で、古来の想いに浸りながらの山歩きが味わえます。標高差は200m弱と初心者にも丁度よく、気持ちのよいブナ林の中の散策が楽しめます。

石動山資料館

まずはふもとの石動山資料館を訪ねるとよいでしょう。入館料は200円で石動山の歴史や由来のある展示物を見ることが出来ます。入り口では散策ガイドが無料で貰えますので役に立ちます。また、六角の木の杖も無料で貸し出しされています。とても雰囲気がでるので是非一本借りて頂上の本社まで参拝しましょう。

旧観坊

資料館から見て神社と反対側に車道を進むと旧観坊があります。現存する唯一の坊です。最盛期にはこの山に3000人もの衆徒が暮らしていたというから驚きです。この建物は江戸時代の建築で、昭和51年に立て直されました。

大宮坊門

再び資料館の前に戻り、右手の大宮坊門をくぐります。大宮坊は石動寺の中心的な坊で最盛期の中世には360、江戸時代には58坊全てを支配した別当寺として最も高い格式と権威を有していたそうです。2002年に資料を基に復元工事が完成しました。

大宮坊内は入って見学可能

復元された坊内は新しい雰囲気ですが、造りは当時の発掘成果により忠実に再現されています。

伊須流岐比古神社の鳥居

大宮坊を見学したら向かって左手にまわると伊須流岐比古神社の鳥居が見えてきます。

錫杖

錫杖が飾られており、実際に持ってみることも出来ます。知識米を托鉢する際にはこの錫杖を玄関先でつき「石動山」と唱えると家人は震え上がり「いするぎ法師の名を聞けば泣く子も黙る」といわれていたそうです。

伊須流岐比古神社拝殿前

伊須流岐比古神社は江戸時代1701年に建立され、五社権現の5つの神輿が安置されていました。その背後には、明治の初め山頂の大御前にあった本社を移築した本殿があります。

桁行七間、梁行四間、入母屋造りの平入建物で飾りの少ない大きな建物です。この建物の前、左右側に大きな礎石列があり、盛時にはこれより一回り大きな堂舎が存在してた様です。

ブナ林が広がる

拝殿に向かって左手に道が伸びます。十字路に出るのでまっすぐ進むと辺りはブナ林に囲まれます。背の高いその木々からは天気のいい日には木漏れ日がきらきらともれ、横には水が流れとても清々しい雰囲気です。

ブナの森に佇む行者堂

しばらく進むと右手に行者堂が見えてきます。ブナ林の緑に囲まれたその堂はとても神聖な雰囲気です。この堂は七世紀に修経者「役小角(えんのおづぬ)」を祀っていたそうです。「役行者(えんのぎょうじゃ)」とも呼ばれ、修経者の開祖としても崇拝されています。葛木山での修行におり、虚空飛行(空を飛んだ!)などの呪術を感得たそうです。石動山へは8世紀の始めに登山したとのことです。

剣宮跡

行者堂から進むだ右手の登り口から頂上に向かいます。点在する五社権現は今は跡だけです。それぞれ祀神についての説明板があり、当時の姿に想いを馳せられます。実は明治の神仏分離により別の神社に売却された社もあります。

頂上への稜線

やがて遊歩道は稜線に出ます。苔むしたベンチが木漏れ日の道に並びます。

石動山本社

最後の登りの後、石動山本社にたどり着きます。展望は360度とまではいきませんが、もう一つの展望台の方向へは開けています。少し休憩してから元来た道を進みましょう。周りはブナ林からスギ林へと様相が変化します。

梅宮跡

梅宮跡が見えてきます。五社権現の一つで、鎮定大権現と称し、祭神を天目一箇命、本地仏を将軍地蔵菩薩としています。現在、梅の宮は七尾市三島町の金刀比羅神社本殿となっているそうです。

石動山城跡

石動山城は中世の山城です。上杉謙信が1577年に七尾城攻略の折、ここで陣取ったそうです。

展望台への登り

城跡の左手の道を進みます。一旦車道を横切り再び登山道を進むと急な登りに差し掛かります。そこを登ると展望台が見えてきます。

展望台

案内にはパノラマ展望台とあるのですが、残念ながら2014年現在は木が高くなっており景観はあまりよくありません。全方位に写真パネルがあるので雰囲気は楽しめます。また先ほどの石動山の山頂はしっかりと見ることが出来ます。帰り道は城跡の手前の十字路を左にまがると元の資料館の前に行く道です。

伊須流岐比古神社前取水口

伊須流岐比古神社前の湧水は勢いよくでておりとても美味しいので帰りには喉を潤すとよいでしょう。石動山から湧き出るとても冷たい水が身体にしみわたり、なんだかパワーがみなぎります。この水は鰯が池の霊水(いわしがいけ)と呼ばれ、境内のに湧き出る泉からひかれた名水です。(TatChannelさん情報ありがとうございます)


(c)TatChannel Japan

冷たい鰯が池の霊水

石動山に石動彦神(いするぎひこのかみ)がまつられ、伊須流岐比古神社が建立されたのは、いまから1000年以上も前のことである。地滑りもあって山全体が神として畏れ崇められたものと思われる。その後、鎌倉時代には虚空蔵菩薩を本地とする大宮権現を中心に五社権現(大宮・白山宮・梅宮・火宮・剣宮)が山内にまつられるようになった。

伊須流岐比古神社拝殿

石動山の開山は祟神6年方道仙人とも、養老元年泰澄大師とも伝えられ鎌倉時代には石動寺、室町時代末期ごろから天平寺ともよばれた。最盛期の中世には360余りの院坊と約3000人の衆徒を擁したと伝えられ、絢爛たる堂塔伽藍の有様を古絵図が伝えている。

石動山古地図

南北朝時代や戦国時代末期には幾度となく興亡を繰り返したが江戸時代に入ると加賀藩の保護を得て七十二坊が再興したのち五十八坊となって幕末まで続いた。江戸中期には勅願寺として七カ国知識米勧進が認められ、同時に衆徒らは庶民に祈祷や薬を施し、石動山信仰は諸国に広まった。

大宮坊

こうした石動山も、明治元年1868年に神仏分離令が発せられると院坊の関係者が次々と山を去り、一山瓦解の運命をたどった。

梅宮跡

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