小原道小原越 旧北陸街道の裏街道をハイキング(片道4.7km+261m/富山県小矢部市石川県金沢市/登山トレイルランMTB)
小原越は富山県から石川県県境をこえる古道の一つです。石川県と富山県境の古道といえば旧北陸道の倶利伽羅峠や二俣越の山王坂遊歩道がメジャーですが、ここ小原道は比較的マイナーな道です。
昔の情勢からか県境古道はそれぞれ石川県側と富山県側に城跡があります。ここ小原越は佐々成政が築いたとされる松根城の跡がちょうど県境にあり、それが現存している小原越の終点となります。
旧北陸街道の裏街道と称される様に、なだらかな物資輸送に適した尾根で便利すぎて加賀藩からもっと北の北陸道を使えと圧力をかけられた逸話があるのだとか。
そんな歩きやすい登り261mのなだからな山歩きルートを紹介します。初心者ハイキングやトレイルラン、MTBツーリングのコースにも使えそうな道です。
目次
小原越の地図(GPXトラックデータダウンロード)
スタート
国道356号の小矢部市側フロンティアパークのすぐ南に小原越入口があります。車で来られる場合は邪魔にならないように脇に駐車しましょう。
案内板と地図があります。案内板の内容は以下の通り。
小原越案内板
小矢部市浅地から、名畑・末友を経て県境の松根城跡のある峠を超え、金沢市吉原町に至る小原越 は、北陸街道の裏街道(わきみち)として古くから利用されていた。
この道は倶利伽羅峠越えの北陸街道と違い、山の尾根が主の道すじで比較的緩やかである。そのうえ金沢への近道とあって砺波地方の開拓が進むにつれ馬を利用し米を主体に塩その他種々の物資が運搬された。
この小原越に対して今石動、倶利伽羅、竹橋を経由する北陸街道は、本通りとして種々保護されていた。加賀藩は脇道の小原越がよく利用されると、街道沿いの宿場が衰え、住民の生活がなりたたなくなることを恐れた。
藩は、宿駅を保護するため金沢への届米は竹橋・津幡宿場の馬で運ぶよう達しを出した。しかしながら小原越は加越の住民にとって生活に密着した重要で愛着のある道であり続けた。
小原道地図
ここから起点ではなくさらに東、現在の北陸自動車道の辺りに起点があったようです。いまは見る影もありませんが浅地・安養寺・藤森・平桜の各神社を経由していることがわかります。
看板をあとにして田んぼ道を進みます。途中農業用溜池がありますのでそのまま直進。
フロンティアパーク南側
ネットを探した情報では小原越のフロンティアパーク側は薮こぎが必要とありましたが、2019年現在ではきちんと整備されていました。国土地理院の地図にも出ていませんが、臼谷八幡神社からの山鹿の里近道からの合流点である馬つなぎ場まで快適に山歩きできました。
ぬかるんでいる箇所があるので足元に注意しながら進みます。階段になっていますが隅の方を歩いたほうが無難そうです。MTBの方はちょっと降りたほうがいいかもしれませんね。
途中左からの合流があったのですが、もしかしたら塞がった道を別経路で作り直したのかもしれません。
右手には能越幹線の巨大鉄塔が見えます。ここは加賀変電所と福光開閉所からの能登幹線・能越幹線の並走地帯です。手前が能越幹線になります。
小原越 馬つなぎ場
やがて広場に到着します。馬つなぎ場、山鹿の里です。下の神社からもここに合流します。案内板がありました。
_旅人が道の平らになるこの辺りで馬を木につないで一休みしたことから「馬つなぎ場」と言っていた。
この地から西方には岡村岐路、五郎丸岐路を経て人母岐路に通じ、当方は末友西教寺に出る。岡村岐路、五郎丸岐路間は昔日の小原道の面影を色濃く残している
昭和58年(1983年)史跡整備事業の一環として、この小原道沿いの平地を小公園に整備し「山鹿の里」碑と「小原道」碑を建て「山鹿の里」と名付けた。
小原越 岡村岐路へ
広場の横は舗装路になっています。案内標識に従い旧小原道をトレースしていきます。舗装路といっても杉の枯れ葉が多く歩きやすいみちでした。すぐに未舗装路になります。
一見ただの杉林ですが、なにか気づきませんか?
はい、茶色に塗られた環境調和色の電柱が並走しているのです。ほとんど目立たないのが面白いですね。景観に配慮して整備されているのに関心しました。
400Vだそうです。通常の電柱は6600Vなのでちょっと珍しいですね。
なだらかな尾根で高度を上げ岡村岐路にたどり着きます。小原越の尾根は傾斜がゆるく、北の倶利伽羅旧北陸道と比べて物資を運びやすかったという話も頷けます。
小原越 五郎丸岐路
岡村岐路と五郎丸岐路は小原越のハイライトです。山の斜面に深く掘られた道。これぞTHE古道旧道ですね。
やがていくつもの道が交わる五郎丸岐路にたどり着きます。
ここはからは能登幹線の巡視路も通っている様で車が通れる幅で砂利がひいてあります。
帰り道迷いそうですが、ちゃんと案内があるので大丈夫です。真ん中の道が能越幹線の巡視路の様です。写真の赤白鉄塔は能越幹線108番。能越幹線は一番頭の架空地線が3条、能登幹線は2条なのが見分け方です。
左の道はグルっと回って先程の岡村岐路に車で行けるみたいです。
小原越 大休場
大やすみ場は大休憩場といったところでしょうか。そういえば夕日寺の山王坂遊歩道にも大休場という場所があったので一般的な言葉なのでしょう。
右に分岐していますが地図では行き止まりなのでまっすぐ進みます。
左手には立山と医王山の2ショットが木の間から見えます。とちゅう珍しい形の小屋がありました。ガラス戸のむこうには木?何に使われているのでしょうね。
道は下り傾向になっていきます。奥には能登幹線が見えてきます。ちょうど目的地付近には能登幹線106番が建っています。
小原越 人母岐路 力持ち地蔵
238m地点。舗装路にたどり着きます。左にはイノシシ罠が。右に行けば内山集落の地点です。小原道は案内通りまっすぐ。
林道と並行して通る小原道が市内内山・柿ケ原線と交差するこの辺りを人母岐路という。現在の市道、林道が整備される以前は、この辺りは視界がひらけた小高い場所になっていた。道路脇にある百見坂と呼ばれる地は、いまも四方見晴らしのきく場所となっている
岐路の西脇大地に明治初期(1870年頃)内山村の青年たちに相撲を指導し、村に貢献した谷内平松の碑や力士の碑、別称「力持ち地蔵」が建っている
人母岐路から南方に百見坂から人母集落(福光町)に達する旧道と柿ケ原(小矢部市)へ通じる市道が通っている。また北方への市道は内山集落に出る。
人母岐路から西方へ約1キロメートルで県境松根峠い達する。
案内板に書いてあった力持ち地蔵がありました。地蔵?
たしかに力持ちしか持てなさそうな石ですが。
細い舗装路が峠まで続いています。温かい春先で梅が咲いていました。さっきからの内山支線の電線が並走しています。
途中携帯の鉄塔がありました。
デジタルツーカー北陸の表示。懐かしい名前ですね。
280m付近に旧道らしき跡がありましたが、残念ながら薮になっていて案内も出ていませんでした。
舗装路からの眺めは素晴らしく、立山と砺波平野、手前には北陸自動車道が見えます。隣の鉄塔は能越幹線113番です。先程の五郎丸岐路から見えたのが能越幹線108番なので間に4本あることになりますね。
北西方向には医王山の横を並走する能登幹線と能越幹線の鉄塔群が見えてきます。
この2つの幹線は中能登変電所から出発して番号を増やしてここまで着ています。ちょうど同じ様な番数なので混乱しますが石川県側が能登幹線です。
やがて右手に巨大な赤白鉄塔の足、能登幹線106番が見えてきたらゴールはすぐそばです。
能登幹線、能越幹線共に北陸最大級の500kV鉄塔です。真横を通るとその巨大さに圧倒されます。
鉄塔をすぎるとすぐに脇道があります。ここを登れば松根峠です。
最終地点 松根城跡へ
短いですが最後の古道ムードを楽しんでください。(じつはさっきの道を真っ直ぐ行っても松根城は行けます)
松根城跡到着です。お疲れ様でした。
松根城跡は他の記事で他の記事レポートしているのでそちらを参照してください。
下段は公園になっていてランチや休憩ができます。トイレもあります。
松根城展望台からのパノラマです。右手には医王山キゴ山戸室山のトリオが。
左手医王山の横は人形山袴越山方向でしょうか。とてもいい眺めと涼しい風に癒やされます。
帰りは登ってきた道をそのままもどります。案内標識が充実しているので迷うことはないでしょう。
緩やかな登山で初心者やトレイルラン/MTBもいけそうな歴史古道、小原道小原越の紹介でした。
(余談ですが、先ほどの能登幹線106番から能登幹線老番方向に巡視路が整備されており、そこからもこの松根城まで登ってこれます。その先は国道305の側道、もしくは福光人母集落。こちらのほうがより山登りらしい道だったりします。MTBはちょっと難しいですがトレイルランで人母集落・小原道との一周コースを組んでみるのも面白いかもしれませんね)